炎上の軍師殿



孫権様の命令で、私は魏の密偵の討伐に行くことになった。しかも一人で。
どうやら今、呉の武将たちは兵を引き連れて蜀を攻め落とす準備をしているだとか。
まだ戦をあまり経験していない私にとって、一人で討伐しに行くのはちょっと怖かった。
まあ、でも密偵も一人だけだというし…。
孫権様は心配してくださって、撤回して下さろうとしたけれどそれを私は首を横に振った。
孫呉の君主たる孫権様のためならば、私は何でも頑張ってみせる。
何よりも…私を拾ってくださったご恩をお返ししなくては…!










「こんにちは!今回殿と同行することになりました、陸伯言です!」

よろしくお願いします、と元気に言ってきた彼を見て、私は目を丸くする。
私は陸遜殿が同行するということなど、孫権様から一言も聞いていなかった。
陸遜殿の元気さとは裏腹に、私は顔を青くする。

いや、何。だって…ねぇ。
この人、自分は白ですオーラ放ってるけど、お腹の中はどす黒い人だからさ。
何回か、ハメられて執務を手伝わされたこともある。

私は陸遜殿の顔色を窺う。
彼は何か嬉しいことでもあったのか、嬉々としていた。

「どうしましたか?殿」

「いえ、孫権様からは何も聞いていなかったので驚いただけですよ。今日は宜しくお願いします。
それにしても、何か嬉しそうですけど…いいことでもあったんですか?」

「え、嬉しそうな顔してましたか?…そうですね。殿と一緒にいられるのが嬉しくて」

さらりと爆弾発言をかましてしまった陸遜殿。
こういう台詞を吐いて、一体何人の女の子たちを落として泣かしてきたんだと思うとゾッとした。
私は話を切り替えたくて、「お腹空きましたね~」と呟いたが、陸遜殿の耳には入っておらず
陸遜殿は相変わらず嬉しそうに微笑んでいた。

でも、陸遜殿は強いから…心強い。
少しだけ、ほっとした私であった。









馬を走らせ、密偵の潜んでいるという場所に向かう。
相手は一人、こちらは二人ということで、早く片付きそうだと陸遜殿は笑った。

「終わったら執務、手伝ってくれませんか?量が半端でなくて私一人では終わらないんですよ。
ていうか、殿に拒否権は無いですからねっ」

にこにこしながら吐いた言葉。
ああ、やっぱそれが狙いだったのかと、私は目を伏せた。
べつに、孫権様から命じられたのではなく、
私の仕事を手伝い、早く終わらせて、執務を私に手伝わせようという策か。
こっちも手伝ってくれるんだから仕方ないかとは思ったけれど
なんだか、やっぱりまたハメられてしまった気がして、どうもスッキリしない。

「はいはい。わかりましたよ、と」

拒否権が無いと言われてしまえば、それに従うしかない。
この仕事が終わった後のことを考えると、気分が沈んでしまった。







「この辺りですね」

孫権様に教えていただいた場所に着いた私と陸遜殿は、警戒しながら辺りを見回す。

「敵は一人、ただの一般兵だと聞いていますが…一人で密偵に来るほどの者ですから注意してください。」

そう私が言ったにも関わらず。
私が陸遜殿に振り向くと、陸遜殿は片手に松明を持って今にも投げつけようとしていた。

「ちょ!!おま…!!何やってんですか!!」

「もちろん、火計ですよ。ここら辺にはよく燃える木が沢山ありますから最適ですよ」

「最適って…あの、そういう問題ではないかと…!!」

「とっとと敵兵を見つけて終わらせましょう!」

そう言って陸遜殿は松明を投げ捨てた。
草や木に引火して、炎がどんどん燃え上がっていく。

「ギャーーー!!下手したらこっちまで危ないじゃないですかアアァァァアアア!!」

何考えてんのこの腹黒軍師!!と叫んで陸遜殿に掴みかかると、陸遜殿は真剣な表情になる。

殿…どいて下さい!!」

その台詞が言い終わらないうちに、陸遜殿は私を乱暴に後ろに押し倒した。
抗議しようと顔を上げると、私がいた場所に見たことのあるビームが飛んできた。

「ち、外したか」

そして聞き覚えのある声。

「司馬懿…!何故貴方が…!!」

「青二才が。相変わらず火計しかしないのだな。そして…久しいな、

司馬懿は陸遜殿を見てバカにしたように笑んだ。
それから、私を見て目を細める。

そう、先ほど私にビームを放ったのはこの男、司馬懿。

何故、こいつがここに…!?
こいつが相手じゃ…私はおろか、陸遜殿でも歯が立つかどうか…!

「殿が寂しがっていたぞ。いつまで経ってもあなたが魏に戻らないことを」

羽扇で口元を隠してクスクス笑う。
司馬懿の言葉を聞いた陸遜殿が、目を見開いたのに気付かない私ではなかった。

「魏に…戻る?殿、どういうことなんですか!?」

こいつの…司馬懿せいで今まで隠していたことがバレてしまう…。
そう、私は…

「ご存知なかったのか?伯言殿は。は殿の…曹丕様の妹君にあせられる」

魏王、曹丕の妹だ。

それを知った陸遜殿が、私を凝視する。

私は怖かったんだ。この日が来ることが。
孫権様に拾われて以来、孫権様だけしか知らなかったこと。
みんなが知ってしまったら、私が曹丕の妹だと知ってしまったらきっと呉にはいられなくなってしまうから。

「殿と大喧嘩して、出て行ったと思ったら…まさかこんなところにいたとはな。
私の目的はを連れて魏に帰ること…そのために呉の密偵としてこの私自ら出向いたのだ」

司馬懿のその知謀で私を魏に帰らせる気にさせられるかもしれない。
丕兄様の考えそうなこと。

丕兄様は卑怯だ。
いつも自分ではなく、司馬懿に私を任せっきりで。
大嫌いだった。

「帰らない。帰りたくない。私はここにいたい」

私は陸遜殿の服の裾を強く握る。
陸遜殿は…今何を思っているのだろう。
私のこと、『裏切るのではないか』って疑ってるかな…。

「私は呉のみんなが好き…だから、魏には戻りたくない!」

孫権様が、魏から抜け出す際に傷を負った私を拾って介抱してくれたこと。
孫策様が、冗談を言って私を笑わせてくれたこと。
呂蒙殿が、いろいろと世話を焼いてくれたこと。
凌統殿と甘寧殿が、私を本当の妹のように可愛がってくれたこと。
大橋殿と小橋殿と孫尚香様が、友達として接してくれたこと。
陸遜殿が、執務を手伝わせる…こと…?いや、これは違う。
とにかく、今の生活が大好きだ。昔の生活には戻りたくない…。

「…殿は呉にとって大切な人材です。渡すわけにはいきませんね」

今まで黙っていた陸遜殿が口を開く。
私は陸遜殿の言葉に涙する。
だけど、すぐに涙を拭って鼻を啜った。

陸遜殿と、目が合う。

陸遜殿は微笑んでくれて、私はまた涙が出そうになったけれど、堪えて微笑み返した。

「…馬鹿めが、素直に魏に戻ればいいものを」

そう言って司馬懿は羽扇を構える。
陸遜殿は私を抱き上げると「逃げますよ」と言って走り出した。

「逃がさん!!」

当然司馬懿が追いかけてくる。
あの最悪なビームを発しながら。

私と陸遜殿はギャーギャー悲鳴を上げながら必死に逃げる。

孫権様。密偵の正体、司馬懿でした。
私一人では絶対捕まってたと思います。

逃げながら孫権様に届かない念を送る。

逃げても逃げても追ってくる司馬懿。
陸遜殿は足が速いけど、今は私を担ぎながらだから相当疲れているだろう。
これではすぐに追いつかれてしまう…。

「陸遜殿、このままでは捕まってしまいます!!」

「いいえ、大丈夫です。殿は私が必ず守ります!!」

火の粉が舞い散る中、大丈夫と言った陸遜殿の息も上がってきて、不安になる。
私が魏に戻れば…陸遜殿はこのまま一人でも逃げられる…。

私が…!

そう思って陸遜殿の手から逃れようとした時だった。

「こちらです!!」

陸遜殿が声を上げた。

すると、前方から味方の兵が一気にこちらにやってくる。
あれは…陸遜殿の部隊と、朱然殿と、その部隊。
朱然殿が陸遜殿に駆け寄って、頭を下げる。

「ご無事でしたか!」

「ええ。ありがとう…ございます…」

陸遜殿は笑顔で答えて、私を降ろしてその場に膝を着いた。

「後は我々にお任せ下さい!」

朱然殿は兵を引き連れて、司馬懿に向かっていく。
いつ、朱然殿たちを呼んだのだろう。

「火計と見せかけて…援軍を呼んだのです。物凄い殺気を感じましたから…
すぐに魏の武将の誰かかとは思いましたが…まさか司馬懿だったとは…危なかったですね」

息を切らせながら説明してくれる陸遜殿。
朱然殿たちに、火が上がったら援軍を要請するということを予め言っておいたのだそうだ。
やっぱり、陸遜殿についてきてもらえてよかった。

「ありがとう…陸遜殿…」

「いえ、殿にはいなくなって欲しくないですから。
まさか、曹丕の妹だったとは思いませんでしたが…そんなの関係ないですよ」

苦しそうに、息を整えながらも、笑顔を絶やさない陸遜殿。

なぁんだ、私、曹丕の妹でも呉にいていいんだ…。
そうとわかったら、今まで抱えていた重たいものが消えてしまったように軽くなった感じがした。

陸遜殿は、私のために、こんなに頑張ってくれてるんだ。
私もそれに応えて、陸遜殿の執務、文句言わずに頑張ろう。

後ろから、兵たちの歓声の声が聞こえる。
兵たちの歓声の中から、司馬懿が撤退したという内容の話が聞こえてきた。
流石の司馬懿も、兵の数に圧された、か。

「帰りましょうか」

「はい」

陸遜殿が、私の手を取って歩き出す。

「曹丕や司馬懿はまた、殿を狙ってくるでしょう。しかし、私が必ず守り抜きますから…」

「私も、もっと強くなります!」

陸遜殿は、私の言葉を聞いて、一瞬眼を丸くして、くすくす笑った。

「貴女は今のままでもいいんですよ。私が貴女を守りたいんです。守らせてください」

「うわぁ、何それ!私がひ弱って言いたいんですか?!私も一応戦えるんですから!」

だから貴方は黒いんですよと言うと、陸遜殿は苦笑した。

「困ったな、今のは告白のつもりだったのにな」

「え」

パチパチと木が燃える音が辺りに響いてる。
しばらく沈黙が続いていたけれど、しばらくして朱然殿が来たので
陸遜殿は朱然殿と話を始めてしまった。

取り残された私は二人から視線を外して、燃えていく木をぼーっと見つめているだけだった。










城に帰ってきて、陸遜殿と孫権様に報告した後、私は約束どおり陸遜殿の執務の手伝いをしていた。
執務の量は半端なく多い。とにかく多い。
軍師は大変だなぁと思いながら陸遜殿を見ると、陸遜殿は頬杖をつきながら筆を執っていた。

そういえば、告白の返事していなかったな。

だけど、今この部屋には呂蒙殿もいるし…。

そんなことを思って、私も筆を執る。
そのとき、陸遜殿が顔を上げたので、目が合ってしまった。
なんとも気まずい雰囲気になる。

「あの…」

小さく、呟くように声を掛けて、不要の紙に文字を書く。
その書いた紙を、陸遜殿に差し出した。

陸遜殿は、その紙を見て嬉しそうに微笑む。
そして、陸遜殿は私の書いた文字の下に、文字を書いて私に渡した。


(私も、陸遜殿のことが好きです。でも、私も貴方の手助けをするために戦います)
(嬉しいです。でも、決して無理はしないで下さいね)

私と陸遜殿は目を合わせて、黙って微笑んだ



執筆:05年11月30日