王様の休日
魏に降りてからというもの「私!今!全力で生きてる!」と感じるようになった。
私は蜀にお仕えしていたのだけど敵軍であった魏の総大将である曹丕様に半殺しにされた。本当に死ぬ覚悟だったけれど、曹丕様は私に「魏に来ないか」と手を差し伸べて下さった為、優しさを感じて魏に降ることにした。あの時の痛みは忘れない。
今では曹丕様の副官を務めさせて頂く程頑張ってきた私。自分で言うのもなんだけど、曹丕様に信頼されていると思う。でも失敗すると曹丕様はやっぱ怖い。めちゃくちゃ怖い。そんな時はぶっちゃけ蜀に戻りたくなったりしてしまう……というのも、基本的に蜀の人たちはみんな優しかったからだ。
そんなこんなで、色々あるけれど私は曹丕様にどこまでもついていく所存である。
――と自分に言い聞かせてみた。
「最近、曹丕様はお眠りになられないご様子……心配だわ」
小腹が空いたので女官たちにお菓子を恵んでもらっている時だった。噂話や世間話が大好きな女官たちは今日も他愛ない談笑を繰り広げていたのだが、今日の話題は曹丕様のことについてのようだった。
女官たちも美形好きで。曹丕様は女官たちの憧れの的。中には曹丕様に恋心を抱いてしまっている女官もちらほらといた。ぶっちゃけそれは彼の中身を知らないからであろうと同情してしまう。
「ねぇ、様は曹丕様がお眠りにならない原因、ご存知ですか?」
一人の女官が私に訊ねてきた。
知るかよそんなの……。
私はうーんと頭を掻きながらあれこれ原因らしい原因を思い出してみたが思い当たる物は一つもなかった。四六時中曹丕様と一緒にいるわけでもないし、そもそも曹丕様の普段の生活に興味が無い。
「さぁ、私も存じません。ただ単に執務に追われているだけとかじゃないですか?」
「まぁ、そんな投げやりな! もっと深刻な理由だったらどうなさるおつもりですか? 曹丕様が何かお悩みになられていて一睡もできないのでしたら……ああ! なんて御可哀想!」
私の答えに反発する女官は多分過激派だ。曹丕様が何かに悩んで眠れないなんてそんなガラじゃないでしょうに。
面倒くさいなぁと思いながらため息をついた。ここはさっさと切り上げてしまおうとお菓子に手を伸ばした時――
「本当に執務に追われているのでしたら、副官である様がお手伝いなされたら如何ですか?」
「ええー……」
お菓子をひょいっと取れない位置に移動された。なんと、女官はお菓子を人質にしたのだ。
私は別に曹丕様が眠ろうが眠らまいが全く関係無いんだけどな。いや、副官だし関係あるのか? 上司の健康を労わるのも副官の務めかもしれない。
「仕方ないですね。様子でも見に行ってみますよ」
無事にお菓子を受け取り、立ち上がる。
女官たちは「私たちの代わりに曹丕様をお願い」と言わんばかりにこちらを見ていた。あんまり期待されても、眠る眠らないは個人の自由だからなぁ。
私は重い足取りで曹丕様の私室に向かって歩き出した。
※ ※ ※ ※ ※
「曹丕様、に御座います」
トントンと扉を軽く叩いて、曹丕様の返事を待つと、すぐに扉の向こうから曹丕様の声が聞こえてきた。
「入れ」
曹丕様の返事と同時に扉を開けて部屋に入る。
そういえばここのところ何日か呼び出しも何もなく、曹丕様の私室には出入りしなかったっけか。廊下で擦れ違って挨拶するくらいだったような気がする。
だから気付かなかったんだ、この大量の巻物に。曹丕様はどうやら本当にここ何日か一人で執務をこなしていたのだ。いやいやいや、こんなにあるのなら普通声かけるでしょうに!
「何やってるんですか! お声を掛けてくだされば、お手伝い致しましたのに!」
曹丕様は気だるそうに顔を上げて私を見たが、すぐにまた視線を巻物に戻した。
「お前になど頼らずとも、このくらい一人で十分だ」
そんな言葉を吐いたわりには曹丕様はやはりいつもの覇気がなくて、今にも消えてしまいそうに、小さく見える。
曹丕様は一人でずっと頑張っていて、休んでいないんだ。これでは女官たちが心配するのもよくわかる。私はちゃんと曹丕様の事を見ていなかった。この人は甘えることがすごく下手なのだ。これでは副官失格だ。彼の性格をわかっていたつもりでわかっていなかった。
「曹丕様、少しお休み下さい」
「お前はこの量の書を見てそんなことを言えるのか。逸早く終わらすのが私の務め」
曹丕様は手を止めようとはしない。
ああもう、見ていて、もどかしくなってくる。
「やるな、とは申しておりません。休めと申しているのです。一国の王たる貴方が疲労で倒れてはそれこそ元も子もないじゃないですか」
私は曹丕様の腕を掴み、無理矢理手を止めさせる。曹丕様は一瞬私を睨んだ。でも私は怯まない。怯むものか。
「今日だけでいいです。勝手ながら今日は曹丕様の休日とさせて頂きます。変更は効きません。無視した場合、蜀に帰らせて頂きます。こんな疲れた主の元で働きたくなんかないですもん。私、本気ですよ」
こんなことで曹丕様が言うことを聞いてくれるだろうか。でも、今はこれ以上の脅しが思い浮かばない。
曹丕様はゆっくりと目を伏せて、口の両端を上げる。
「……よかろう。今の私にとって、お前を失うということは大きな損失。仕方があるまい、今日は私の休日とさせてもらおう」
曹丕様はゆっくりと立ち上がると、私と向き合う形になる。目が合うと、曹丕様が少しだけ微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。
とりあえず、休んでくれることになってよかった……代わりに私が頑張らないといけないけど。
「では、一眠りでもしよう。よ、こちらへ来るがいい」
「……え?」
今、曹丕様は何て? え? 一緒に寝ろと?
待ってください曹丕様。私は執務をする心の準備はできていますがそういうことになるとは思っていなかったのでそちらに関しては全く心の準備ができていなかったのですがっ。
「いや、あの。私、そんな」
「そう易々とお前を穢したくは無い。何もしない、安心しろ」
そう言って可笑しそうに笑う曹丕様。
くっ、そりゃそうだ。曹丕様と私じゃ吊りあわないんだからそんなことあるわけないじゃないか私のばかやろう。
「し、仕方ないですね」
曹丕様の横を歩き、曹丕様がベッドに入ったのに続き、私はベッドに腰掛ける。
「よ」
お前も一緒に。
そう言いたげな目でじっと私を見つめる曹丕様。私は顔を赤くしながら首を横に振る。
傍にいるだけじゃダメなんですかね!?
「まさか、一緒に寝ろと!?」
すると曹丕様は私の手を強引に引いてベッドに身を倒す。私は抵抗して曹丕様に腕を掴まれたまま身を起こそうとするが
「これは命令だ」
耳元で囁かれた言葉。
ぐぅ、命令なら、仕方が無い。
そう自分に言い聞かせて、私は曹丕様の隣に寝る形になる。曹丕様は満足そうに私の頭に手を回し、自分の胸へ押し付けるように抱きしめた。
「あの、曹丕様……?」
「お前がいると、安心して眠れそうだ」
うとうとしながら呟く曹丕様。私は必死に言葉を選んだが、結局「それは光栄です」としか言えなかった。
しばらくすると、曹丕様の小さな寝息が聞こえてくる。いつしか、私も曹丕様の腕の中で眠りに堕ちていった。
執筆:06年1月6日
修正:20年8月17日