魔女教大罪司教強欲担当レグルス・コルニアスには大勢の妻がいる。自分に従順でない妻に対して容赦なく攻撃し、中には死んでいった者も少なくない。そうした事からレグルスに逆らえる妻は誰一人いなかった。ただ一人を除いて――。
 その人、は不思議な力を持っていた。それはレグルス曰く『権能』というものらしい。レグルスの『権能』を打ち消し無効化してしまう力。それはレグルスにとってはかなり厄介であったが、福音書には彼女を妻にする旨が記されていた。それに、いずれ何かの役に立つかもしれない。そう考えて側に置いているものの、とにかくはレグルスの言うことを聞かない。それはレグルスにとって不愉快以外の何者でもなかった。

……お前今五十二番を庇っただろう!? そいつは笑ったんだ! 僕は妻たちに対して笑うなと言っているのに笑った! 夫の言うことを聞けない妻には少し痛い目を見せないとわからないから僕が心を痛めながら身をもってわからせてあげようとしているのに、僕のそんな善意を、優しさを、思いやりを、誠実さを、お前は無碍にしようとしている!」

 自分の正当性を主張し、を説得しようと試るレグルスだったが、は小さなため息をひとつ。

「目の前で人が死ぬのを見たくなかっただけよ」

 ぼそりと呟いたはレグルスの目を見ない。自分の行動を阻止されただけでなく反抗的な態度も腹立たしかった。怒りの対象は五十二番と呼ばれた少女からへと完全に移り、溜息を吐きながらその場から離れていくを追うレグルス。五十二番は呆然としながら去っていく二人の後ろ姿を見つめていた。
 にとってレグルスは一応恩人だ。突然知らない場所に一人でいた所を拾われ、衣食住を提供してもらっている。だから彼の妻になり、レグルスのすることに協力をしているのだ。ただ、彼のクズな性格は気に入らない。クドクドと長台詞で自分勝手な主張と権利について語るレグルスにどこまでもついてこられ、諦めたは立ち止まった。そしてレグルスを睨んで一言。

「うるさい」

 その言葉を聞いたレグルスは激昂した。

「僕に向かって……夫であるこの僕に向かってうるさい、だって?」

「あたしはレグルスに感謝してる。こんなあたしを妻にしてくれたから生きていられる。だからあたしに出来る事は何でも協力していきたいと思う」

「それなら黙って大人しく僕の後ろを歩いているだけでいいじゃないか! 僕を罵倒し僕の前を歩くそれはとても感謝している人間のやる事じゃないよね? 本当に教養のない女だな! ははっ、流石売女だっただけある!」

「その通り。教養はない。あたしは生まれた時から家族にも村の人間にも疎まれていたもの」

 勢いで罵倒したつもりだった。しかし、の言葉にレグルスは息を飲む。それは過去の自分と重なって――思わず後ずさる。

「……お前は、」

 僕と一緒なのか。言いかけ、レグルスは首を横に振った。

「あたし、レグルスが簡単に人を殺すところを見たくない。あたしを助けてくれた人がクズだなんて思いたくないの」

 レグルスが権能を使ってを殺しにかかったものの、は無表情でそれを阻止して終わった。



※ ※ ※ ※ ※



 はレグルスから解放されて充てがわれた妻専用部屋へと戻った。そこは個室ではなく数人が共同で使っている。レグルスに縛られ自由の少ない妻たちが唯一安らげる場所ではあるが、にとっては安らぎの場所ではない。他の妻たちと距離を取り、一人部屋の隅に蹲る。それがこの部屋での過ごし方だ。部屋には先程レグルスに殺されかけていた五十二番が一人、あとの妻たちはレグルスに付き従っているのだろう。

「さっきは助けてくれてありがとう。あなたが……五十番――さんね」

 部屋に入った途端、何故か五十二番が話しかけてきた。しかしは一瞬だけ五十二番を見てすぐに視線を外す。

「……」

 五十二番は苦笑いを浮かべ、話を続けた。

「他の子達が噂してたのを聞いたの。あなたは旦那様の特別だって。唯一旦那様が番号で呼ばずに名前で呼んでいるし、ここに来てから常に旦那様の側に控えている。それに、旦那様はあなたに手を出せないんですってね。ああ、手を出せないって、殺さないって意味よ」

 一方的な会話。は無視を決め込むが相手は離れていこうとしない。それはきっと要件を伝えていないからだ。何が目的なのか。前置きが長いのはレグルスだけの特徴ではなかったのか。レグルスの妻というものは実はみんな冗長なのだろうか。話した事がないから知らないが。

「みんながいつ旦那様の機嫌を損ねて殺されてしまうかと常に怯えている中で、一人だけ特別扱いを受けているあなたを妬んでいるけれど……私は違うわ」

 ああ、早く話を終わらせてくれないだろうか。他人と一緒、しかも二人きりという状況は酷くつらいのだから。

「本意じゃなかったかもしれない、でも助けてくれた事が嬉しかったの」

 うるさい、うるさい、うるさい、うるさい――

「よかったら、友達にならない?」

「……っ!?」

 ――友達。
 それはがどんなに欲しくても手に入らないものだった。だから反応せずにはいられなかった。は五十二番の顔を見る。に笑顔を向けている五十二番。

「ようやくこっちを見てくれたね、さん」

「あなたは、あたしの事が怖くないの?」

 は恐る恐る尋ねる。

「怖い? どうして? さんは普通の女の子じゃない。しかも旦那様に対抗できる力を持っているし、私はさっきあなたに助けてもらった。怖がる必要って無くない?」

 村では人と少し違うだけで気味が悪いと罵られ、家族にすら迫害されていた。ここでは自分だけがレグルスに特別扱いされていると仲間外れにされていた。正直、新しい環境で期待はあったけれど所詮どこにいても変わらなかった。それなのに――。

「私の名前はプラティアっていうの。旦那様がいない間だけは、そう呼んで欲しいな」

 五十二番ことプラティアがに手を差し出す。は躊躇いつつもその手を取った。



※ ※ ※ ※ ※



 プラティアと友達になってからは楽しい日々が続いた。人生で初めて楽しいと思える時間に戸惑いながらもはそれを受け入れていく。しかしそれはレグルスがいない間だけのほんの僅かな時間。レグルスがいなくなれば、とは思った。それなのに。

「あ、プラティア――」

 がプラティアを見つけ、話しかけようとした時だった。物陰で見えなかったがプラティアは誰かと一緒にいる。他の妻たちとは極力接したくはない――が話しかける事をやめて踵を返した、その時。

「プラティアって最近あの子とよく一緒にいるけど仲いいの?」

「ああ、のこと? 仲がいいフリしてるだけよ。そうすれば、誤って旦那様の気分を害しても彼女が守ってくれるから」

 聞こえてしまった会話には思わず目を見開く。

「――」

 そして、その場を離れた。

 ――やっぱり、あたしには友達なんてできないんだ。

 プラティアを友達だと思っていた数日間は本当に楽しかった。しかし、彼女はただ自分を利用していただけ。レグルスから自分の身を守る為に仕方なく。

「…………」

 しばらくその場に座り込んでいると、レグルスが通りかかった。レグルスは下を向いているを見てニヤリと口角を上げる。

「最近浮かれていたと思えば今日は随分良い顔をしているじゃないか。ようやく僕の妻としての自覚ができたのかな? 僕としては初めからそうしてほしかった所だけど、お前にも心の準備というものがあるだろうからね。それを待ってあげられない程僕はせっかちではないつもり――」

 途中でレグルスは気づく。が泣いているということに。

「何があったのかはおおよそ予想がつくよ。これでも、お前の夫であるわけだしね」

「何それ」

 涙目のまま、はレグルスを睨みつけた。夫と言えど出会ってひと月足らずの人間に何がわかるというのか。
 レグルスはの手を強引に引っ張り、引き摺る。その向かう先は、

「だ、旦那様!」

 プラティアの所だ。突然現れたレグルスに驚きを隠せずにいる。

「五十二番、お前が最近の周りをうろちょろしていたしていた事を容認していたけど、そろそろ僕も限界なんだよね。妻たちの中では突出して優秀だからさ。本来なら君も含めて妻たちを平等に愛さないといけないけれど、には常に僕の隣にいて欲しいんだ。まぁ、態度に関しては全然なってないけどね。それは夫である僕が追々教育していくつもりではあるよ」

 褒められているのだろうか、貶されているのだろうか。何が言いたいのかわからないレグルスの言葉には目を細める。恐らくはプラティアへ牽制しているのだろうが。

「えっと……そうですか。それは失礼致しました。今後は五十番との接触を控えます」

「ところでさ、僕の妻を利用しててどうだった? 最期にいい思い出はできたのかな?」

 最期。
 その言葉にとプラティアはこれから起こる事を理解する。レグルスの表情を見れば、本気の目をしていた。恐らくはでも守りきれないだろう。守るつもりはないが。

「……プラティア」

「あは。ごめんね、。本当は私、あなたを友達だなんて思ったこと一度もなかった。ただ、あなたを利用しただけ。旦那様が唯一手が出せないあなたと親しくしていれば、私もその恩恵に預かれると思った。けど、そんな事は全然なかった! 初めから知ってたらあんたみたいな陰険で気持ち悪い女、友達になんてならないわよ!」

「黙れ」

 一言、レグルスが発した直後にプラティアは頭と胴体を瞬時に切り離された。頭部は宙を舞い、ゴトッと音を立てて床に落ちる。笑ったまま絶命した彼女は恐怖する間もなく逝ったのか、それとも――。

「妻を利用していいのは夫である僕だけだよ。まったく、友達ぶってくる奴に限って平気で裏切るんだよね。こんな薄汚い女を妻にしておくのは虫唾が走る」

 つい先程まで頭が繋がっていた胴体から血が止めどなく流れる様を見つめながらはゆっくりと口を開いた。

「ねぇ、レグルス」

 名を呼ばれ、レグルスは振り向く。

「あたし、人の死がこんなに嬉しいなんて初めてよ」

 は焦点の合わない目で笑った。

「……やだやだ。人が、ましてや家族が一人死んだのに悲しむどころか嬉しいだなんてさ、それって人として常識を逸してるんじゃない? まぁ、僕は好きで殺したわけじゃないけどゴミのような人間が一人この世から消えた事はとても喜ばしいことだよね」

 片目を瞑り同意を求めるレグルス。一瞬迷ったものの、は頷く。自分もレグルスと同じくクズな性格なのだと自嘲した。
 ただ、レグルスは一体どういうつもりでプラティアを殺したのだろうと疑問に思う。単にプラティアの姑息なやり方が気に入らなかったのか、はたまた同情されたのか。

「――。僕は君を裏切らない」

 レグルスは無意識に発してしまった言葉に困惑したが、言われたも目を丸くしている。しかし、にこりと微笑む。

「あたしも、レグルスを裏切らない」

 普段から無表情のは、変えたとしても不機嫌そうな顔しか見た事がなかった。妻たちには無表情を徹底させているものの、何故かの顔が変わるのを見たいと思っていた。笑顔なんて醜いものだと思っていた。しかし、今のの笑顔は悪くない。レグルスは自分の中で変わりつつある感情に一瞬戸惑うが、気のせいだと言い聞かせた。


執筆:
21年1月7日