澄んだ青空の下、セルボルト邸の中庭では洗濯物を干していた。
秋の日差しが優しく彼女を照らす。
たまに周りを飛んでいるアカトンボに多少の鬱陶しさを感じながら、
は竿に引っ掛けた一つの洗濯物を一瞬にしてばっと広げて皺を伸ばす。
同じ作業を何回も…しかもそれを毎日やっていると手馴れるもので、作業も早くなってくる。
以前は躊躇っていた男性の下着も、今ではなんの躊躇いもなく干すことができるようになった。

最後の洗濯物を干し終えて、は深くため息を吐いた。

「はー…ようやく終わった。」

自分を含め、3人分の服を洗濯するのは疲れる。
こんなことを主婦たちは毎日やっていたんだと思うと少々同情したくなった。

はフラットで出会った仲間であるキールとソル…セルボルト兄弟と一緒に暮らしている。
一年前にキールたちの父、オルドレイクによって起こされた無色の乱の後、
行く当てがなくなったはキールたちの本家であるセルボルト邸に住ませてもらう事になった。
家事の役割はきちんと分担しようということだったが、住ませてもらうのだから、という理由で
が全て家事をすることを申し出た。
キールもソルも、きちんと役割分担をしようと否定したが、の必死な訴えに
二人は「無理はしない」ということを条件に家事を任せてくれたのだ。

あれからもうすぐ1年が経つ。
はあの時のキールたちの心遣いを思い出して小さく微笑んだ。










先程洗濯物をまとめて入れていた籠を右手に持ちながら、
は大きな家の廊下を歩く。

今日のお昼は何にしようかな。

そんなことを考えながら、籠を所定の位置に置きに向かっているときだった。
突然ばたばたと急いでこちらにむかって走ってくる足音が聞こえた。
音は次第に大きくなり、其の音はの前で止まった。

ソルだった。

「おはよう、ソル。今日もトウヤたちに会いにフラットに行くの?」

のんびりとしたの言葉とは裏腹に、
ソルは額に汗を浮かべながらブンブンと首を横に振った。

「大変だよ!兄貴が…兄貴がっ!」

ソルの言葉を聴き、は一瞬固まった。
キールの身に何かあったのか。
頭から血の気が引いた。脚はガタガタと震える。口の中はカラカラだ。
頭の中が真っ白になるとはこのことなのか、とは思いながら
震える脚に力を入れて走った。洗濯籠が宙を舞う。
一刻も早く、キールのところへ。
いつも携帯している誓約済みのサモナイト石をポケットから取り出し、握り締める。

「ちょ…!」

ソルの呼び声がむなしく廊下に響いた。
はお構いナシに走り続ける。
握り締めた紫色のサモナイト石が奇麗に輝いた。














「キール!」

叫び声とともにキールの部屋のドアが開かれる。
キールは驚いた様子で、目を丸くして部屋に入ってきたを見つめた。
は、特にいつもと変わりないキールを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
が、すぐにキールの手にあるものを見て、それを凝視した。
『お店での働き方』、『正しい接客』という2冊の本。

「キール…バイト、するの?」

「あ、ああ。実は結構前からしてたんだけど…。」

恥ずかしそうに頭を掻くキール。
セルボルト家では、ほぼ自給自足の生活をしているので食べ物に困ることはほとんどない。
オルドレイクの残した遺産は莫大なもので、
サイジェントの街の復興費にあてても少ししか減らなかった。
税金も街から少し離れた場所にあるこの家には関係がなく、
キールがバイトをする必要など全くなかった。
それなのに、何故。

「どうして?お金には困ってないじゃない。」

が問い掛けると、キールは困ったように、しかしいつものように優しくに微笑んだ。

「自分で働いて、自分で稼いだお金で買いたいものがあるんだ。」

父上のお金では買えないんだよ、とキール。
は納得のいかない表情で、むすっと頬を膨らませた。

「何を買うの?」

「内緒だよ。」

訊ねても答えてくれないキールに、は更に頬を膨らます。
一方キールは、そんなを見て楽しそうに笑っていた。

結局、キールの笑顔にK.O負けしたは、渋々とセルボルト邸の門までキールを見送りをした。
そして見送り終わって踵を返す。
と、後ろにはいつの間に来たのか、ソルが黙ってそこに立っていた。

「止められなかったんだな。」

「あんな笑顔されたら反論すらできないって。」

自分の非力さに苦笑して、は家の中へ入っていった。
ソルは、の後姿を見つめてため息を吐く。

「俺じゃ、やっぱり兄貴には勝てないんだな。」

その言葉はの耳に届くことはなかった。

「(やっぱり、キールが心配だ。人見知り激しいし、本当に大丈夫かな?
それ以前にキールがカッコいいから他の女の子に取られないか心配だわ。)」

大好きなキールを他の女の子にとられる。それだけは嫌だ。
は再び踵を返してきた道を戻る。
戻ってきたを見て、ソルは目を丸くした。途端、ソルはに腕を引っ張られた。

「は?突然何だよ!?」

「やっぱりキールが心配!お願い!ソルも一緒に来て。」

引っ張られる手が痛む。

ソルはそう感じながら黙ってに引っ張られた。
好きな女の子にこうされてしまうと反論もできない。

「(俺だってお前にそんなことされたら反論すらできないよ。)」










キールの働き始めたという喫茶店。
キールは正装な姿でレジの前に立っていた。
元より頭のいいキールはレジのしくみなどすぐに理解したようで軽快に文字を打っている。
そこまではよかった。客に値段を言うときに、声が小さいらしく、客に聞き返される。
其のたびにキールはへこんでしまう。
とソルはそんなキールを店の外から見ていて、哀れに思えて仕方がなかった。
だが、キールはあれはあれで一生懸命だ。止めるわけにも行かない。
何を買いたいのかもわからないが、は一生懸命なキールを応援していた。

「キール、頑張ってるね。」

「ああ。でも、ちょっと情けないな。」

落ち着かない様子でレジをとる兄の姿を見て、ソルははぁ、とため息を吐く。
それを見たは「そんなこと言っちゃダメ」とソルを軽く小突く。

再び二人がキールに視線を戻すと、キールはレジを隔てて女性と会話をしていた。
キールが頬を赤く染めて、照れている。

もしかして、キールはこの人と会うためにバイトを始めたんじゃ。

の目に涙があふれた。ソルはそれを見てギョッとする。

「ど、どうしたんだよ?」

「だって…キールはきっとあの人のためにお金を稼いで、貢ごうとしてるんだわ!」

「キールがそんな人だったなんてー!」と更に大声で泣き出すに、ソルは目を細める。

「貢ぐってなんだよ。兄貴はそんなヤツじゃないって一番知ってるのはお前だろ?
あのな、。兄貴はそれくらいお前が好きで、好きでもない女に一生懸命接客してるんだ。」

信じろよ。

の両肩に手を当てて、必死に弁明する。それは気休めにしかならないが。
しかし、は涙を拭って、ソルに微笑んだ。

「そう、だよね。ありがとう、ソル。私、信じるよ。」

はキールの一生懸命に働く姿を目に焼き付けた。

「…、来いよ。」

「え…?」

ソルはの手をとると、を連れて喫茶店の中に入っていった。

「じゃ、邪魔しちゃ悪いよ!」

「いいから。」

キールは入ってきた二人に気づくと、目を丸くした。
キールと話していた女性は、にっこりと笑いながら「いらっしゃいませ」と二人に声をかける。

店員だったのか。

二人は同時に肩を落とした。

「どうしたんだい、二人揃って…。」

「どうもこうもないよ。兄貴が心配だーってが嫌がる俺を無理やり…。」

「私、そんなことしてないでしょ!」

はふざけるソルの鳩尾に裏拳をかました。するとソルは呻きながらその場にしゃがみ込む。

「ありがとう、。大丈夫だから。僕もあと少しで上がるから外で待っててくれるかな。」

キールはの頭を優しく撫でながら言った。
「わかった、頑張ってね」と言い残して、は喫茶店から出る。
下で呻いていたソルが立ち上がり、キールに一言。

「未来の俺の姉さんを泣かすなよ。」

キールは顔を緩ませて「もちろん」と言った。











「お疲れ様です!」

仕事が終わり、清々しい気持ちで店から出てきたキールには微笑んだ。

「本当に待っててくれたんだ、ありがとう。」

キールはの手をとり、微笑む。
と、指に何かはめられるのをは感じた。
ふと、指に視線を移すと、そこには綺麗な指輪がはめられている。

「キール、これ…。」

「結婚指輪だよ。、僕と結婚してくれないか?
こんな頼りない護界召喚師だけど、君を守る自身はある。絶対に…。」

キールは真剣な眼差しでを見つめる。
すっかり真っ赤になってしまったは小さく、縦に頷いた。

「…嬉しい。ありがとう、こんなヤツですがよろしくお願いします」

の答えに、キールは「!」と叫びながらを抱きしめた。
また、もキールを抱き返す。

「この指輪のため、だったんだね…。」

「黙ってて、すまなかったね。」

「ううん、いいの。」

二人は手を繋ぐと、家に向かって歩き出した。




私にはキールがいなくちゃだめみたい。
きっとこれは…




恋愛中毒





執筆:04年10月7日