『裏切り』











それは約束・信義・期待などに反すること。










それなら私は裏切り者なのかもしれない。









だって、私は…。








私がもっとしっかりしていればよかったんだ。











そうすれば大好きなあの人との約束を破るなんてしなかった。










「何でだよ!!のバカ!」

静かな昼下がりの午後。船内で、ナップの声が大きく響いた。
ナップの隣で気持ちよさそうに眠っていた、相棒のアールは驚きながら目を覚ます。
驚きのあまり見開いたアールの大きな目には、ナップとその友達であるが映った。
しかし、ナップの表情は険しく、もまた申し訳なさそうな表情をしている。
普段は仲のいい二人であるため、アールは心配になって「ピー?」と元気のない声を出した。
ナップから目を逸らしながら、は後ろで指を組む。
窓からは潮風が適度に吹いてきて、二人の頬を優しく撫ぜる。
しばらく黙っている二人を、アールも無言で見守っていた。

「どうしたんだ、ナップ?大声なんか上げて。」

先ほどの大声を聞きつけたのか、心配したレックスがナップの部屋の扉を叩く。
するとナップは、一旦を睨みつけてから「なんでもないよ」と返した。
レックスが扉を開け、ナップとアール、そして一人の少女の姿を確認して優しく笑んだ。
まるで険悪な雰囲気を和ますかのように。

「いらっしゃい、。ナップと遊んでたのかい?」

「レックス先生…。いえ。何でもないですよ。ナップ、本当にごめんね。」

は眉の両端を下げながら微笑むと、急いで部屋から出て行った。
ナップに至っては、無言のままで、アールはそれを心配そうに見上げていた。
何かあったのか。レックスは目を細めたが、あえて言葉にはしなかった。
ナップもも、もう自分たちで物事を理解できる年頃なのだし
自分が割り込んではさらに厄介になるかもしれない、そう思いながら無言で苦笑した。

は「名も無き世界」から召喚されてしまった少女で、
ゲンジと同じく「日本」という世界からやってきたらしい。
喚ばれて右も左もわからなく、泣いてばかりでいたがレックス達と出会ってからは
年の近かったナップやスバルたちと仲良くなることができた。
それが、5年前のことだ。そんな彼女も今年で17歳。
今では「帰りたい」と泣いていたのが嘘のように元気な少女に成長している。
彼女は現在ミスミとスバルの家に居候していて、スバルはを実姉のように慕っている。
また、たまにゲンジの家に行って、話をししては元の世界を懐かしんでいたりしていた。

「先生…俺、もうどうしたらいいかわかんないんだ。」

ナップは俯きながらレックスに問いかける。
レックスはまさか自分に話を振られるとは思っていなかったので
多少困惑したが、ゆっくりとナップのベッドに腰を下ろすと苦笑した。

のこと、か?」

ナップはコクリと一度だけ首を縦に振った。
最近になってのことが気になりだしたことに気づいたという彼は、
のことになると感情的になりやすいという。
ナップはもちろん、レックスも恋愛に関してはあまりにも無知すぎるため、
どうしたらいいのかわからなく、ただ黙っていることしかできなかった。
特にレックスは自分の生徒が悩んでいるのに解決して上げられないことに落ち込んでいた。
沈黙の中、アールだけは状況がよく理解できていないらしく「プピー?」と心配そうに首を傾げる。
そんなアールを、ナップは愛しげに抱き寄せると「どうしよう、アール」と呟いた。
レックスは体勢を変えてナップと向き合う。

「で、どうしては出て行っちゃったんだ?喧嘩でもしたのか?」

レックスの言葉に反応し、ナップは微かに頬を赤く染めて否定した。

「ち、違うよ!!そうじゃないんだ。でも、が悪いんだ。」

つい、アールを抱きしめる腕に力が入ってしまい、アールは苦しそうにもがき始めた。
レックスは苦しそうなアールを気づいていないナップから開放してやると同時に
「どうしてなんだ?」とナップに問い掛ける。するとナップは俯きながら小さく呟く。

のやつ、ずっと前から剣の稽古に付き合ってくれるって、約束したのに…。
約束したのに、突然行かないって言い出したんだよ!なんで、だよっ!?」

悔しそうに顔を歪めるナップの頭を優しく撫でてやるレックスは
大好きな生徒に何もしてやることができない自分に腹が立った。
アールがベッドから飛び降り、近くに落ちていた何かを拾うのを、レックスは見逃さなかった。
その何かは、いつもが身に着けていた髪飾り…リボンで。
自分の世界の唯一の品だからといつも大切そうに肌身離さず身に着けていたもの。
レックスはアールからのリボンを渡してもらうと、膝を抱いて沈んでいるナップにつきつけた。

「ほら、これをに返してきなよ。それと同時に謝ること。」

ナップはつきつけられたリボンを受け取って、機嫌悪そうにレックスを睨んだ。

「何で、俺が謝るんだよ」

ナップの言葉に、レックスはため息をついた。

「確かには約束を破ったかもしれない。でもそれは他に急用ができたからかもしれない。
それに、はちゃんとナップに謝ってたよ?だけどナップはにバカって言ったよな。」

あの子は約束を破るような子じゃない、とレックス。
ナップは「あ…」と呟き、のリボンを握り締めると勢いよくベッドから降りた。

「ありがとう、先生。俺、自分の事しか考えてなかった。
のこと、考えてたつもりなのに、全然ダメだよな。肝心なところ考えてなくて。」

アールの名を呼び、自分の背中に飛び乗るのを確認したナップは慌てて部屋を出た。
部屋に一人取り残されたレックスは困ったように苦笑いを浮かべていた。












船から降りるとそこにはもう夕飯の準備をしているのか、ソノラとスカーレルが料理をしていた。
二人は走ってくるナップに気づき、声をかける。

「あれ?ナップ、お出かけ?」

「ああ!ちょっとのとこにな!」

すれ違うソノラとスカーレルに見向きもせずに、ナップは言葉だけ返して走る。
ソノラは「またか」とクスクスと笑った。ソノラの隣で、スカーレルも小さく笑う。

「若いっていいわねぇ。」

うっとりと両手を組むスカーレルを見て、ソノラは苦笑した。そしてスカーレルをどつく。
どつかれたスカーレルは痛そうにどつかれた脇腹を押さえながら苦しそうに微笑んだ。

「スカーレルだってまだまだ若いじゃない。」

「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。ソノラ。」

オウキーニ直伝のタコ料理の匂いを漂わせながら、
ソノラはもう見えなくなってしまったナップに「頑張れよー!!」と叫んだ。











風雷の郷の中央にあるお城。つまりミスミとスバル、そしての住居にたどり着いたナップ。
必死で走ってきたため、乱れた息遣いを整えながら敷居を跨いだ。
心臓の鼓動が早くなるのを感じる。仲直りはできるだろうか、そう思うだけでドキドキするのだ。
アールはナップの背中から降りると、「ピピー!」と叫ぶ。
ナップも、アールに続いて「!!」と叫んだ。
すると、門口からは驚いた表情をしたが姿を現した。
ナップはのリボンを握り締め、息を呑む。

「ナップ!?どうして…。」

既に逃げ腰のの腕をナップがとっさに掴む。は怯えつつ眉を潜めた。
しかし、ナップは構わずに口を開く。
こんなに怯えるなんて、と多少ショックは受けたがそれよりもまずは謝りたかった。
自分が傷つけてしまった、この愛しい少女に。

「ごめん、!バカだなんて言って。」

ナップの意外な行動に、は呆然とした。
まさか、謝ってくるとは思わなかったと言わんばかりに。
はっとして、も「私も本当にゴメン」と慌てて頭を下げた。
ちょっとだけ、事情を話しておこう、そう思ったが口を開く。

「実は…」

「兄ちゃんと姉ちゃん?一体どうしたんだよ。ゴホゴホッ。」

が言いかけた瞬間、スバルが咳き込みながら城から出てきた。
足元もフラフラしていて、明らかに無理をしていることがわかる。
ナップとは倒れかけたスバルを同時に支えた。

「す、スバルこそどうしたんだよ!?顔が真っ赤じゃないか!!」

「スバルね、熱出しちゃって。ほら、スバル!寝てなきゃダメだよ!
昨日濡れたままでいたからだよ!もう…。」

「熱」と聞いてナップは昨日の出来事を思い出す。
そういえば昨日は暑くてみんなで水遊びをしていたのだったか。
ああ、それでか、とナップは一人納得していた。
そして、今日熱を出してしまったスバルの看病のために。

「そっか。スバルの看病で剣の稽古に付き合えなかったんだな。」

ぼーっとしているスバルを背負い、ナップは苦笑した。
はナップの背中でダルそうに咳き込んでいるスバルの背中を擦ってやりながら微笑む。

「うん、ごめん。ミスミ様は島の見回りで今日は帰らないの。」

「そうならそうって、言えばよかったのに。」

「だって、言い訳するみたいで嫌だったし、それ以前にナップったら怒って聞く耳持たなかったじゃん。」

言い訳していいわけないじゃん、と笑うにナップは「寒い」と眉を顰めた。

しばらく二人でスバルの看病をして、スバルがだいぶ落ち着いて眠り始めた頃、
二人は縁側でゆったりとお菓子と飲み物を持って雑談をし始めた。
スバルの容態、昨日の晩御飯のこと、レックスの失敗…どれも他愛無い話ではあったが
二人にとってはお互い楽しい時間だった。
しかし、時間の流れは止まらなく、空には無数の星と月が見え始める。

「あ、もう月が見えてるよ。そろそろ帰らないと先生たちが心配するね。」

飲み物とお菓子の残骸をまとめて、はその場に立ち上がった。
ナップも「そうだな」と立ち上がり、の持っていた残骸の半分を引っ手繰った。

「ナップ?」

「俺も食べたんだから後片付けを一人だけにさせるわけにはいかないだろ。」

ニカッと微笑むナップに吊られて、も笑みをこぼした。

「ありがとう。」

ナップはの笑みを見て、ホッと気が安らぐのを感じた。
アールも察しているのか、いい雰囲気の二人の邪魔にならないように
少しだけ距離を置いて二人の後ろをトテトテと歩いていた。









宝石が輝くような星空とリィンバウムの大きな月の下に、とナップは立っていた。
しばらく互いに見詰め合って、微笑みあっている。
アールは遊び疲れて寝てしまい、ナップの右腕の中にいた。
左手が手持ち無沙汰でなんとなく、ポケットを探るとのリボンが手に触れる。
今まで忘れていたが今ポケットを探ってよかった、とナップは胸を撫でおろした。

「これ、さ。喧嘩したときにが落としてったやつ。」

そっとリボンをに差し出すと、は嬉しそうに声を上げた。

「ナップが持ってたの?よかった、落として失くしちゃったのかって思ってた。」

結構ショックだったんだ、と
嬉しそうに笑うがとても可愛らしくて、ナップは思わず息を呑んだ。

「でも、ナップに持っててほしいな。」

「え?」

渡したリボンを返されて、ナップは思わず呆然としてしまう。
大切にしていて、しかも失くしたと思いショックを受けたほどのものを、何故。
ナップは「でも…」と言いかけたが、に遮られた。

「ナップにね、持っててもらいたいの。実はもう一つ同じものがあるんだ。
好きな人と同じものを持ってるってだけで、なんか嬉しいし。」

「好き…。」

不意に赤くなってしまう。
ナップは顔を赤くしながら「わかった」と呟いた。
はそんなナップの様子を楽しみながら、一歩後ろに下がった。

「それじゃ、そろそろスバルの看病に戻らなきゃ。
剣の稽古、また誘ってね?今度は絶対に付き合うから!」

「ああ。もちろん!ガンバレよ、看病。うつされるなよ?」

「うん!大丈夫だよ、きっと。ばいばい!」

「じゃあな!」

互いに手を振り合う。そしてナップは踵を返して走り出した。
は恥ずかしそうに笑い、ナップが数十メートル離れたところで息を吸うと叫んだ。

「大好きよ、ナップ!!」

ナップはそれが聞こえたのか、一瞬バランスを崩したがなんとか体勢を立て直し、
その場に止まる。踵を返し、と向き合うと大きく叫んだ。

「俺もが大好きだからなっ!!いつか、結婚しようぜ!」

遠くから見えたナップの笑顔は、とても輝いていた。

「うんっ!」








雨のちハレルヤ











はナップのプロポーズにドキドキしながら、必死に頷いた。
もはや嬉しすぎて立っていられない。
そして、ついには地べたに座り込んでしまった。



執筆:04年9月15日