大切な存在



 麗らかな日差しが窓から差し込む中、リオンは一人殺風景な部屋で紅茶を飲みながら優雅に読書をしていた。静かな部屋での読書。それはリオンの、数少ない好きな時間の一つであった。しかし、その時間もすぐに遮られてしまう。
 ドアを乱暴に叩く音と共に少女の叫び声が聞こえた。

「やっほ! リオン様! いらっしゃいますか!? いらっしゃいますね! 入りますよ!」

 リオンが返事をする間もなく少女は部屋へ入ってきてリオンの姿を確認すると嬉しそうな顔をし、リオンの方へ駆け寄ってきた。

「リオン様ッ! 聞いてくださいな!」

「なんだ、。騒々しい。だいたい僕は今読書中なんだ。邪魔をするんじゃない」

 この騒々しさにはもう慣れているのか、リオンも淡々としている。
 少女、はリオンの身の回りの世話をしながら簡単な任務の時だけリオンに同行している。剣の腕はそこそこではあるものの、能天気でそそっかしく、リオンは事あるごとに肝を冷やしている。

「私、今日初任務ですよ! しかも一人だけで!」

「なっ……なんだと!?」

 リオンはの言葉を聞いた瞬間、飲んでいた紅茶を噴出した。読んでいた本に噴いた紅茶がじわりと滲んでいく。しかし、リオンはそんなことには構わず、の顔を凝視した。
 が一人で任務なんて無理に決まっている。

「馬鹿な、一人で任務だと? 王もヒューゴ様も一体何をお考えに!」

「大丈夫ですよ! ストレイライズ神殿へ大事な手紙を届けるだけですから。半日もかかりませんし恐らく夕食までには帰れるかとー……多分」

 は持っていたタオルでリオンの紅茶で濡れた服を口元を拭きながらにこりと笑う。
 しかし、リオンは気が気ではなく、の両肩を掴んだ。
 ――辞退するよう説得しなくては、と。



「ああ、リオン様のお世話の件ですね? それなら大丈夫です! 私がいない間はマリアンさんがお世話をしてくださいますから! フフフ。よかったですねー、リオン様。あ、でも人参には注意ですよ」

 リオンの気も知らず、リオンはマリアンのことが好きだと思っているはニヤリと笑いながらリオンを茶化した。
 なんとなくそれが腹立たしく感じたリオンはソッポを向き

「馬鹿が! お前なんかもう知るか! 勝手に行って来い!」

 そう言い放ったのだった。



※ ※ ※ ※ ※



が任務に出てからどのくらいになる?」

 リオンは近くにいた執事のレンブラントに訊ねる。レンブラントは時計を見て、苦笑交じりに答えた。

「坊ちゃん、様が発ってからまだ10分も経っておりませんよ」

「そ、そうか」

 リオンは恥かしそうにそっぽを向く。
 が任務に出てからもう数時間は経った感覚だ。心配しすぎて時間の感覚がおかしくなっているのだ、と思う。
 レンブラントはそんなリオンを見てにこにこと穏やかに笑った。

「やはり、様のことが心配ですか?」

「そ、そんなことはない」

 リオンは慌てて首を横に振った。

(わかりやすいですな、坊ちゃん)

 それに、ほんのりと顔が赤いのはレンブラントの見間違いではなさそうだ。

「そうですな、様はああ見えてしっかり者ですからなぁ」

 微笑むレンブラントを横目に、リオンは窓の外を見た。

(あの馬鹿、この僕に心配かけるとは)

 先程に邪魔された読書を再開して気を紛らわそうと、リオンは無言のまま赤いマントを翻しながら踵を返し、自室へと向かった。
 自室のドアを開け、入ってからゆっくりをドアを閉める。机に置いた読みかけの本を手に取り、ベッドに沈むもののどうも落ち着かない。これは読書どころではないとため息が漏れた。リオンは寝返りを打つと、本を枕元に置いてシャルティエを抜いた。

『どうしたんですか? 坊ちゃん』

がいない間はマリアンが僕の世話をしにくるんだったな」

『そうでしたね、坊ちゃんの専属メイドでもあるは任務でいませんからね』

 シャルティエのその言葉を聞くとリオンはふぅ、と大きな溜息をついた。今日はあと何回ため息が出るのだろう。

『寂しい、ですか?』

「煩いのがいなくてせいせいするな。その反面煩いのに慣れてしまったから物足りないな」

 リオンが皮肉を言うと、シャルティエは「素直になればいいのに」と思ったがあえて言葉にはしなかった。
 が帰ってくるまであと半日以上ある。シャルティエはこのまま何事もないようにと願った。



※ ※ ※ ※ ※



「リオン、夕食を持ってきたわ」

 マリアンが夕食を携えて部屋に入ってきたので、リオンは閉じていた目を開けた。あれからいつのまにか寝ていたのか、窓の外を見ればもう日は沈んでいた。

「結局今日は1日中寝てたわね。溜まっていた疲れ、とれたでしょう? はい、これ夕食よ」

 皿からは食欲をそそるいいにおいがするが、人参が沢山入っている。いたずらっぽく笑いながら「人参に注意」と言っていたを思い出した。

「マリアン、はまだ帰ってこないのか」

「そういえばそうね……夕食までには帰ってこれるかもって言っていたのに。そろそろ帰ってくるんじゃないかしら? でも、心配ね」

 そのうちいつものように騒がしく部屋の扉を開いてくるのだろう。
 ――そうであってほしい。

「あいつは大丈夫だ。は強い」

 それはまるで自分に言い聞かせているかのようだった。
 マリアンは窓の外に目を向けた。が帰ってくる気配は、ない。

「そう……ね」

 その日、が帰ってくることは無かった。

 深夜、リオンは再びベッドに入ったが、なかなか寝付けなかった。明日は自分の任務があるため、眠らなければ体が持たない。
 昼間に睡眠をとったせいもあるのだろうが、やはり、のことが気がかりで仕方がない。無理矢理目を閉じていると、いつしか意識が遠のいていった。
 気がつけばあたりは暗闇で、自分以外何も見えない。腰にあるはずのシャルティエもない。
 自分は夢を見ているのだと自覚はあるものの、不安になる。

「シャル?」

 呼びかけても応答は無い。

「……ここは、どこなんだ?」

 自分の声が響くだけであった。
 『孤独』――それが一番相応しい言葉。

「一人、か」

 ふと、足元に何かが当たるのを感じた。何かと思い、手で触れてみる。触れる直前、何故だかの冷たくなった体だとわかった。

「――

 声が震える。涙が流れる。何も考えられなくなった。



※ ※ ※ ※ ※



『坊ちゃん!』

 シャルティエの声が響いた。

「――ッ」

『大丈夫ですか? ずいぶんうなされていましたが』

 夢の内容を思い出すと、不意に涙が溢れてくる。
 もしかして、の身に何かあったのだろうか。
 リオンは即座にベッドから降り、服を着替える。

『坊ちゃん?』

「嫌な予感がする。行くぞ、シャル! が心配だ!」

 ベッドに置かれたシャルティエを手に取り、リオンは涙も拭かずに部屋を飛び出した。
 ダリルシェイドの町をも出て、走る。今、どこまで走ったかはわからない。とにかく走った。森に入った。ストレイライズの森だ。
 リオンは一本の大木に手をつき、俯きながら肩を上下に動かし、息を整えた。涙は未だ止まっていない。むしろ溢れ出てくる。
 ――もしも手遅れだったら。夢が本当だとしたら。
 考えるだけで怖かった。

!どこだ!」

 リオンはシャルティエを抜き、無造作に振った。

『坊ちゃん! 落ち着いて!』

 シャルティエはただ、泣きながら自分を振るうリオンを見ている事しかできなかった。
 どれくらいシャルティエを振っていたか。ある茂みに切りかかった瞬間、小さな声があがった。

「痛ッ」

 声の主は突然立ち上がって、自分を切りつけてきた人物を睨みつけてやる。しかし、自分を切りつけてきた人物は自分のよく知っている人物であり、不思議そうに目を瞬かせる。

「あれ? リオン様?」

!」

 は足から血を噴出したまま呆然としていた。あのリオンが泣いている。いったい何が起きたのか。

「どうしたんですか、その顔? ははーん、マリアンさんに人参を食わされましたね?」

「……ち、違う」

 リオンははっとして、慌てて涙を拭った。

「じゃあ、どうしたんですか?」

「別にどうもしてない。目にゴミが入っただけだ」

 涙を拭っても溢れ出てくる涙。これはゴミが入っただけでは理由にならない。苦し紛れだ。
 リオンはその場に崩れ落ち、俯きながら言った。

「……お、お前が、死んだかと思ったんだ」

 突然目の前が暗くなったので、リオンは驚いた。しかし、安心できる温もり。自分がに抱きしめられているのに気付くのに時間がかかった。は泣いているリオンの顔を隠すように抱きしめている。

「私、ちゃんと生きてます。安心してください。リオン様を一人ぼっちにはしません。私は、あなたを守りますよ。私の命に代えて守りますから安心してください!」

「馬鹿が。それはこっちのセリフだ」

「……あはは、そうですか。ありがとうございます」

「絶対、守るからな」

 頬に、涙が流れる。今度は冷たい涙ではなく、温かい涙だった。リオンはの華奢な体に腕を回して、しばらく泣いていた。



※ ※ ※ ※ ※



「すまない、

 帰り道、リオンはを背負いながら帰路を歩いていた。先程の傷が思っていたよりも深く、歩けないのだ。

「い、いいですよリオン様! そんなお気になさらず!」

「しかし……」

「こうして背負ってもらってる私のほうこそ謝らなくてはならないですし! ほ、ほら、元はといえば私が道に迷うからいけないのですよ」

 リオンはぎくしゃくしたを見てふっと笑った。
 お使いはすぐに終わったものの、森で帰り道がわからなくなってしまいそのまま草陰で休んでいたという
 やはりもうしばらくは一人での任務は無理なんだろうなと気を落としていた。それと同時に、リオンが迎えに来てくれた安心感で緊張の糸が切れ、睡魔がを襲う。
 突然、の髪がリオンの頬に触れた。シャンプーのいい香りがリオンの鼻をくすぐる。
 耳をすませば、は静かに寝息を立てていた。

「初任務で相当気疲れしたのだな。まったく、仕方の無いやつだ」

 リオンは立ち止まり、そっとの髪にキスを落とすと再び歩き出した。





執筆:03年5月29日
修正:20年8月5日