事の発端はマリアンのこの一言だった。

、エミリオを見なかったかしら?」

 自室で寛いでいた私は首を傾げた。
 ――エミリオ?
 誰だそれは。ああ、もしかしてマリアンったら皆には内緒でネコちゃんでも飼っているのかしら? だとしたら私に紹介して頂きたい。

「ふふっ。マリアン、エミリオって?」

 もしかしてわんこかな? なんて能天気な事を考えていた私。一方マリアンは目を瞬かせて口元に手を添えた。

「あ、あら? もしかしてはリオンの本名を知らなかったの?」

 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
 え? リオンの本名はエミリオ? 何それ初耳なんですけど! 驚愕の事実! 兄の名は偽名だった!
 そもそも妹である私は知らなくて、メイドであるマリアンが知っていたという事実。しかもそれを本人の口からではなくマリアンから知らされることになるなんて、可笑しくないですか? 
 流石にお兄様大好きな私でも怒りに震えた。愛しさ余って憎さ百倍である。どうしてリオンは私に教えてくれなかったの。どうしてマリアンには教えたの。なんでなんで?

「ごめんなさい、はいつもリオンと一緒だしリオンものことをとても大事にしているから知っているものだと――」

 マリアンのそれは嫌味ではなく心からの謝罪なのだと思う。だけど心の汚い私には嫌味としか受け取れなくて。

「あ、あはは。知らなかったなー。エミリオ……ネコちゃんの名前かと思っちゃったぁ」

 怒りを面に出さないように必死な私。
 マリアンの言う通り、リオンは私の事を大事にしてくれてる。それはわかる。だけど、私よりもマリアンの方が優先度高いんじゃないかな。私かマリアンのどちらか一方しか助けられない時、マリアンを助けるんじゃないかな。そりゃあ、片想いの女性と血の繋がらない妹では立つ土俵が違うけれどさぁ。それでも、私はショックだ。

「おい、はいるか」

 そこへやってきたリオン。マリアンと私の雰囲気に気づいたのか、リオンは眉間に皺を寄せた。

「ごきげんよう、エミリオ兄様」

 ジト目で挨拶をすれば、目を見開くエミリオ兄様。

「ごめんなさい、エミリオ。てっきりはあなたの本当の名前を知っているものだと思っていたの」

「いや、いずれにも伝えるつもりでいたんだ」

 焦るマリアンを優しく諭すリオンを見て更にイライラが増してしまう。私は何を見せられているのだろう。割と限界なんですけど。
 いずれって、何? 本当に伝える気あった? マリアンが口を滑らさなかったらそれは一年後とか十年後だったんじゃないの?

「マリアン、リオン見つかってよかったね! 私これから用があるから失礼するね!」

!」

 自分の部屋なのに、こんな居心地の悪い場所にいられるわけがない。マリアンは探していたリオンが見つかったしもういいでしょう?

「おい、僕はお前に用が――」

 リオンの用事なんて今の私には知ったこっちゃない。それに――泣いてる顔なんて、絶対に見られたくなかった。

「ついてくんな!」

 だから、今までリオンに対して使ったことのない乱暴な言葉で拒絶した。

「――――」

 驚いたリオンは立ち止まり、それ以上私を追ってくることはなかった。



※ ※ ※ ※ ※



 私が逃げ延びた場所は――ストレイライズ神殿だった。
 逃げている最中に森の新鮮な空気を吸っていたら徐々に冷静になれて、そして今に至る。

「お許しくださいお許しくださいお許しくださいお許しくださいお許しくださいお許しください」

 土下座で頭を何度も床に打ち付けた。
 怒っていたとはいえ、私はリオンに対してなんたる態度をとってしまったのだ。ついてくんなとか最愛の兄に対して発していい言葉ではない。ちらっと振り向いた時リオンもすごく吃驚してた。嗚呼もうだめだ、リオンに嫌われた。絶対に嫌われた。リオンに嫌われた私はもう生きていけない。

「あ、あの……どうかなさったのでしょうか?」

 背後から優しい声が響いた。ばっと振り向けば、顔面血まみれの私を見た女性が小さく悲鳴を上げる。三つ編みでメガネの知的そうな女性だ。纏っている服からして、神殿に仕えている人なのだろう。

「驚かせてごめんなさい。わ……私、兄に酷いことをしてしまったんです! だから神に懺悔しているんですッ!」

「それは……ご本人に伝えた方がいいのではないでしょうか」

「そ、そうですよねぇ」

 確かに神様に許されてもリオンが許してくれなければ意味はない。

「よろしければお話を聞きますわ。そうすれば、少しは気持ちも楽になると思うんです。わたくしはフィリア・フィリスと申します。このストレイライズ神殿にお仕えさせて頂いていますわ」

 そう言って私に手を差し伸べてくれたフィリアさん。私は彼女の手を取り、名乗る。

「私は・マグナスです。ダリルシェイドから来ました」

 顔面の血をしっかりと処理した後、礼拝所の椅子に腰かけ、フィリアさんに己の罪を包み隠さず告白した。
 兄の恋路を応援したいという気持ちがありながらも浅ましい気持ちを持つ私。それ故にリオンの本名のひとつやふたつ、マリアンより後に、しかもマリアンから知らされたことに腹を立てるという未熟さ。そして、リオンに対する非礼。これはもう打ち首だ。
 そんな罪深き私の話をフィリアさんは静かに頷きながら話を聞いてくれていた。

「話を聞いていると、さんはお兄様をとても慕っていらっしゃるのがよくわかりますわ」

「そうなんです! 私、兄が大好きなんですよ! 世界で一番大切な人なんです! だから幸せになってほしいんです!」

 鼻息を荒くしながら主張すると、フィリアさんは優しく微笑んだ。しかし、直後それは切なげな表情へと変わる。

「お兄様の幸せを願って応援するさんはとてもお優しいのですね。ですが、さんは本当にそれで幸せなのでしょうか?」

 私の幸せは、決まっている。リオンが幸せになることだ。そのために、リオンの恋を応援しているのだ。

「……? 兄の幸せこそが私の幸せですけど、どういうことでしょうか?」

「もし、お兄様がメイドの方と結ばれた後……さんは――」

 フィリアさんが私から視線を外し、言葉を詰まらせた――その時だった。

「話の途中だが、失礼する」

 その聞き慣れた声にビクリを体が反応した直後、不意にその人物に腕を掴まれた私は悲鳴を上げた。

「うわああああああああ! リオン!」

 颯爽と現れたリオンに驚くと、フィリアさんは口を両手で覆って「あらあら」と目を瞬かせる。リオンはといえば気だるげにしているもののその手はがっしりと私の腕を掴んで離さない。

「何だその反応は。まったく、わざわざ迎えに来てやったんだぞ」

 だってだって、私はリオンに酷いことをしたのに! それなのにリオンは私を許してくれるの? もう出家することも考えてたのに。

さん」

 フィリアさんの笑顔に背中を押され、私はしっかりとリオンの目を見た。
 ――うん、神様じゃなく、リオン本人にきちんと伝えないといけないよね。

「ごめんなさい……手間をかけさせてしまって。それに、暴言吐いたことも」

 私が謝ったことが意外だったのか、リオンは一瞬驚いた顔をした。

「僕こそ、なかなかお前に伝えられなかった。すまない」

「いいの! だって、私はリオンの妹だもん!」

 どう足掻いたって私はマリアンにはなれないし、マリアンより上にはなれないのだから。今回は私が勝手にプリプリしてしまっただけだ。私が悪いんだ。リオンは悪くない。

「妹、か――」

 呟いたリオンは何を思ったのだろう。



※ ※ ※ ※ ※



 神殿からの帰り道、リオンと私は並んで歩いていた。
 リオンの手と私の手がコツンとぶつかり、私は慌てて距離をとろうとした。

「――あ」

 しかし、リオンが私の手を握り、自然と距離が縮まった。心臓がばくばくする。

「め、珍しいね。どうしちゃったの? 可愛い妹が家を飛び出したのがそんなに心配だったのかな?」

 照れ隠しにお茶らけてみるも、リオンはいつものように否定して殴り掛かってこない。不思議に思いながらリオンの顔を覗き見れば、リオンは真っ赤な顔をしていた。
 もう、柄にもないことするから。でも、可愛いと思ってついニヤけてしまう。

「その――できれば、二人の時やマリアンといる時はエミリオと呼んでほしいのだが」

 エミリオ。それはリオンにとって特別な名前だ。きっとそれはリオンにとって特別な存在だけが呼ぶことを許されるのだ。私はその特別になれる。だけど、

「お断りだねぇ。私はずっとリオンって呼ぶよ。だって、今更でしょー」

 その特別は私には相応しくない。今度こそちゃんと弁えなければならない――私は、リオンの妹だ。

『あーあ、だから恥ずかしがらずに早く教えておけばよかったんですよ』

 シャルティエが不服そうな声を出した。リオンは慌ててシャルを諫める。

「おい、シャル!」

 それでも、もう私に聞こえてしまったのだから遅い。

「私に本名を教えるのが恥ずかしかったの……? 何で?」

『そんなの決まってるじゃない。坊っちゃんにとってが特別ってことだからだよ』

「お喋りが過ぎるぞ!」

 否定しないという事は肯定しているという事なのだろう。だけど恐らくそれはマリアンとは違う枠の特別。それでも、私は嬉しかった。

「よくわからないけど、特別に思ってくれてるならすごく嬉しい! ありがとう、リオン!」

 繋がれた手は温かい。それをぎゅっと強く握り返した。
 エミリオとは呼べないけれど、私はこの名前を生涯忘れることはないだろう。




補足:リメDではエミリオがリオンに改名する時既にマリアンはいたのですが、書き直しの都合上こちらの小説ではマリアンが来る前にリオンが一人で改名したという事でお願いします

執筆:20年11月22日