「に、人間……」
黒魔道士が驚きの声を上げた。ずりっとたじろぎながら、目を瞬かせる。目の前には、自分とは異なる存在。
人間を見るのは初めてではない。何度か見たことあるし、先日も村に来たのを見た。ただ、あまり見慣れないもので、多少の恐怖感があった。
だけど、どうも様子がおかしい。身体がゆらゆらと揺れていて、今にも倒れてしまいそうだ。
黒魔道士は恐る恐る手を差し伸べた。
「あの、……大丈夫?」
人間の少女は力なく首を横に振った。横に振ったという事は、大丈夫ではないということ。
黒魔道士がどう対処したらいいのか悩んでいると、そうこうしているうちに少女はその場に倒れこんだ。
「わっ!?」
今、自分の目の前で倒れこんだ少女を見て驚いた黒魔道士は更に悩んでしまう。選択肢は、ふたつ。少女を助けるか、このまま逃げてしまうか。
(……見なかったことにしよう)
黒魔道士は一歩後退した。
(誰にも言わないで黙っていればいい。ぼくには関係ないよ)
そう自分に言い聞かせ、踵を返し、走り出した。
「……」
黒魔道士はその場で立ち止まり、後ろを振り返る。全く動かない少女。
(ああ……145号くんも、こんな風に動かなくなっちゃったんだっけ)
かつて、自分と一緒に村に来た、今はもう動かなくなってしまった友を思い出した。あの時はすごく悲しかった。もう、145号くんと一緒にお話したり、ごはんを食べたりできないんだと思ったら、心にぽっかりと穴が開いたみたいに苦しかった。
友と少女が重なって見える。自分が今ここで逃げ出してしまったら、この少女はこのまま“動かなくなってしまう”のではないか。
(この子のトモダチは、ぼくと同じ思いをするのかな?)
そう感じた黒魔導士は、少女に駆け寄り、そして少女を横抱きにして村へと走り始めた。
この少女を助けて上げられるのは自分だけだという思いを胸に、必死に走った。
※ ※ ※ ※ ※
「……ここ、どこ?」
少女が目を開ければ、目の前には知らない天井。あまり高いとは言えず、質素な家の天井だ。
腕や額に巻かれた包帯に、少女は目を瞬かせる。誰かが自分を応急処置してくれたということは、すぐに理解できた。
(でも、誰が?)
周りを見渡せば、見たことのないものがいっぱい置いてある。特に目についたものは、黒魔道士が好んで使う杖だった。
(ここは、黒魔道士の住む家?じゃあ、私は……)
黒魔道士に助けてもらったのだろうか。自分を助けてくれた者の人物像を考えていると、家の扉が開いた。家に入ってきた、その家主は、少女を見て嬉しそうに微笑む。
「よかった、気がついたんだね」
今、自分の目の前にいるのはトンガリ帽子の黒魔道士。少女は目を見開いた。
こんな噂を聞いた事があったのを思い出す。
ブルメシア王国は、トンガリ帽子の黒魔道士たちに滅亡させられたと。
(そんな人たちがどうして私を助けてくれるの?)
もっと、獰猛な人たちなのだと思っていた。噂に聞いただけで、実際見るのも接触するのも初めてのことだった。
(その人の本質をわからないで、決め付けようとするのは良くない……よね)
少女は唇を噛み締めた後、黒魔道士を見つめた。
「あなたが私を助けてくれたんですか?」
「う、うん。ぼくのトモダチも、君みたいに倒れた後、動かなくなっちゃったんだ。すごく、悲しいんだ」
少女は黒魔道士の言葉に首を傾げた。動かなくなる。それは死ぬと解釈していいのだろうか。
「だから、君も動かなくなっちゃったら、君のトモダチもぼくと同じ気持ちになるのかなって考えて……」
とにかく、この黒魔道士の言動からして、噂に聞いたような感じではなかった。この人は人に危害を加えるような人ではない。人の気持ちを理解できる、優しい人。
そう認識した少女はホッと胸を撫で下ろすと、優しく微笑んだ。
「ありがとう」
少女の言葉を聞いた黒魔道士は、表情を明るくした。
「う、うん!」
お礼を言われるのは、初めてだった。黒魔道士もまた、人間は怖くないんだと、認識を改めた。
「あの、キミはどこからきたの?」
会話に詰まったと感じた黒魔道士は照れくさそうに尋ねる。
「あ、自己紹介がまだだったね。私は。アレクサンドリアから来たの」
アレクサンドリア。名前は聞いたことがあったが、どこにあるのかは知らなかった。
黒魔道士は恥ずかしそうに帽子を被り直した。
「ごめん、アレクサンドリアの名前は聞いたことがあるけど、どこにあるのかはわからないんだ」
アレクサンドリア程有名な場所は無いと思っていたはきょとんとした。場所を知らない、ということは常識外れではないのだろうか。とりあえず、この話は止めた方がいいだろうとは思った。
「そっか。それは残念だな。……ところで、あなたの名前、聞いていい?」
「ぼくは150号だよ。この村に来たのが、ぼくで150人目だからそう呼ばれてる」
再びはきょとんとする。名前が150号という管理された番号。この村に来たのが150人目。この村は一体どうなっているのだと、は頭を抱えたくなった。
「…150号はここで生まれたんじゃないの?」
の問いに、150号はぶんぶんと首を横に振る。
「ぼくたちはみんな、ある日突然目が覚めたら知らない場所にいたんだ」
150号から聞かされる、不思議な回答の数々。言葉を選ぶのも大変だ。
「そ、それって……記憶喪失ってこと?」
は言った後に「違うな」と確信した。150号は「ぼくたち」と言った。この村にいる全員が記憶喪失者なんて、おかしな話、信じられるわけが無い。
「わからない。でも、288号くんは“自我に目覚めた”って言ってた」
「自我……?」
「ぼくはそれが何なのかよくわからないけれど……とにかく、ぼくと、トモダチの145号くんは一緒にこの村に辿り着いたんだ」
は150号の言ったことを整理した。自我に目覚め、この村に辿り着いた者は番号で管理されている。常識が無いのが当たり前。そして、自我に目覚める前に何をしていたのか。そう考えれば全ての辻褄が合う。
「そっか……」
この子たちは魂を持った人形なのかもしれない。恐らく、自我に目覚める前は、噂通りのことをしていたのかもしれない。だけど、この子たちだって今は普通に人間と何も変わらない生活を送っている。
(魂を宿した人形、か)
考え込んでいるにお構いなく質問する150号。150号はもっとのことを知りたいと思っていた。
「どうしてはここに来たの?家には帰らなくていいの?」
突然話しかけられたは、慌てて答えた。
「わ、わたしは……確かにアレクサンドリアから来たんだけどね、私にはもう帰る家がないの」
はアレクサンドリアに起きた悲劇の日を思い出していた。
突如街に現れたモンスター。壊されていく城下町。自分を庇って死んでいった両親。物陰に隠れていた時に聞いた銀髪の男の独り言。事情はよく分からなかったが、黒幕だということは理解できた。
(全部、あの男が悪いんだ。あの男のせいで……!)
150号は首を傾げ、表情は曇らせていたを見つめた。
「家がないの?」
「うん。家、壊されちゃって。家族も、その時に死んじゃった」
目を閉じれば、嫌でも焼きついている両親の死に際。はぐっと拳を握った。
「死んだ? 死ぬって、何?」
きっと、150号たちは死というものを知らないんだろうと、は思った。先程「動かなくなった」と言った150号の言葉を思い出す。
「多分、150号が言っている、“動かなくなる”ということ」
「死ぬ……動かなくなる……」
150号は呟いた。の家族…大切な人が動かなくなった。死んだ。
(もぼくと同じ思いをしたのかな)
トモダチを亡くした150号は、なんとなくの気持ちがわかった気がした。
「私は帰る場所がない。だから、ずっと旅をしてたんだ。それで、気づいたらここに辿り着いてた。少し違うけど、150号と同じだね」
「うん、同じだ」
寂しそうなの表情に、150号は胸が苦しくなった。
(ぼくも、145号くんが死んだとき、こんな顔してたのかな)
ぎゅっと胸元を押さえて、150号は言う。
「の帰る場所は、ここだよ。ここでぼくたちと一緒にいようよ。そしたら、きっと寂しくなくなるよ。ぼくは、288号くんたちがいたから元気になれたんだ」
だから、もここにいれば元気になるよと、150号は微笑んだ。
大好きな145号くんが死んでしまったとき、傍にいてくれた村のみんな。みんなが一緒にいてくれたから、寂しかった気持ちも無くなっていった。だから、もぼくたちが一緒にいればいつか元気になれるはず。
(そうだよね、145号くん)
は、目尻に涙を貯めながら、身体を震わせていた。
「私、ここに住んでいいの?」
「もちろんだよ」
150号がの頭を優しく撫でると、はぎゅっと目を閉じて、溜まった涙を押し流した。
「ありがとう、150号」
涙を拭いながら、は笑った。
顔はぐっしょり濡れていたけれど、綺麗に笑うんだなぁと150号は思った。
(だけど、私ばっかりお世話になるなんて嫌だな。何か、恩返しがしたい)
はぼんやりと自分ができることを考えていた。自分にできることといえば、医療行為だ。
「決めた。私、この村で医者になる」
の宣言に、150号は目を丸くした。
「医者?」
「怪我した人や病気になった人を治す人のこと。アレクサンドリアにいた頃にね、私の両親は医者をやってたんだ。お父さんは街で一番の医者でお母さんは少し名の知れた白魔道士だったから、私も将来は医者になりたくて、必死に勉強してた。白魔法だって使えるわ」
人々に感謝されながら仕事をする両親の背中を見て育ったは、そんな両親を誇りに思っていたし、憧れてもいた。だから、自分も精一杯勉強してきたつもりだった。アレクサンドリアでのことがなければ、今頃は両親に医学を習っていたかもしれないと思い、苦笑した。
「、すごいね! 白魔法も使えるんだね!」
150号の励ましに、は照れくさそうに微笑んだ。
「うん。だから、少しでもこの村の役に立てるといいな」
「なら大丈夫だよ。みんな、喜ぶよ!」
何故か、なら上手くいくような気がした。だから、150号は自信を持って言えた。
(って、なんだか不思議だなぁ)
150号は意気込むを見て、静かに微笑んだ。
その日、黒魔道士の村に初めての診療所ができた。初めは人間が村に来たことに驚いた黒魔道士たちだったが、すぐにと打ち解けた。
は、ここから第二の人生を歩むことになる。
執筆:09年7月13日
修正:16年5月14日