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『執事喫茶タンタラス』同時期と30話後のお話
※男装名前の設定をお願いします
わたくしには好きな人がいます。その人はわたくしの心を癒してくれる、優しい人。だけど、この恋は叶うことはない――。
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初めて母と喧嘩をした。理由は些細な事ではあったが、ガーネットにとって母が自分の事を理解してくれない事がショックだった。もしかしたらお母様はわたくしのことが嫌いなのかもしれない。心配をかけてしまえばお母様は迎えに来て下さるかしら。わたくしのことが好きならきっと来て下さるわ――そう信じて、城を飛び出した。
向かった先はリンドブルム。過去に何度か行った事があったのでそこなら安心だと思った。見張りの兵たちの目を盗んでアレクサンドリア城を抜け、行商人の娘のフリをしてケーブルに乗り、それはまるで本で読んだ冒険物語のようでワクワクしていた。
しかし、リンドブルムに着いた途端に足取りが重くなる。知らない町をお供もつけずに一人で歩くのだ。そして、どこに向かい、何をしたらいいのかまで考えていなかった。とにかく家出さえすればいい――そんな感情だけの浅はかな考えをしたことに後悔する。やるならもっと綿密に計画すべきだった。
行く宛もなく街を彷徨っていて気付く。一体ここはどこなのか。どうやら道に迷い帰り道も分からなくなってしまったらしい。
雑踏の中、ガーネットは孤独を感じ、不安になる。
「お母様……」
心細くてポツリと呟くものの、母の迎えは未だ来ない。今頃母は何をしているのだろう。大切な娘がいなくなった事に気がついただろうか。捜してくれているだろうか。心配、してくれているだろうか。そもそも、自分がリンドブルムにいるとわかってもらえるのだろうか。
「こんなところで何かお困りごとですか?」
誰にも声をかけることもできずに困っていると、執事服の少年に声をかけられた。その優しそうな顔にほっとする。どうやら害は無さそうではある。
「道に迷ってしまって」
「ここはあまり治安が良いとは言えない場所ですので、危ないですよ。よかったら一旦僕たちのお店に来ませんか?」
「――――」
「あ、大丈夫です。怪しいキャッチとかじゃありませんよ。何なら行商の際に使用する身分証もあります」
少年は慌てて身分証をポケットから取り出し、ガーネットにそれを手渡した。
『
』
それが彼の名前らしい。
ガーネットが納得して頷くのを確認した少年はそっと手を差し伸べる。その手はガーネットと同じくらいの大きさで、とても柔らかかった。同年代の異性と手を繋ぐのは初めての経験でドキドキする。
「僕は――
です。今劇場街でやっている喫茶店で働いています。とはいえ、臨時の雇われなのですが」
自己紹介されたのだから自分も名乗らなければならない。しかし、アレクサンドリアの姫である自分がむやみやたらと本名を名乗るわけにはいかなかった。そこでガーネットは偽名を使う事にする。
「わたくしは……セーラ。セーラと申します」
咄嗟に思い付いた名前を名乗ると、
がふわりと笑った。
は買い出しの帰りの途中、近道でここを通ったのだと話しだす。ガーネットも身分を隠し脚色を交えながらここまで来た経緯を簡単に
に話した。
行く宛が無いという事を話すと、
の提案によりガーネットはとりあえず
の仕事が落ち着くまでお店で待っている事になった。それからこれからのことを話し合う予定だ。
※ ※ ※ ※ ※
が働いている店は大盛況のようで、店の外まで若い女性たちが並んでいる。女性たちは
を見つけると黄色い声を上げ、
はそれを笑顔で返す。確かに
は中性的な顔立ちで物腰が柔らかい。彼女たちが夢中になるのがわかるとぼんやり思うガーネット。二人が店に入るなり怒号が飛んできた。
「
! どこで油売っとったんや! 指名入っとるで!」
「すみません! すぐ戻ります!」
独特な話し方の女性に返事をし、ガーネットに向き直る
。
「セーラさん、ごめんなさい。すぐに仕事に戻らないといけないのでここでゆっくりしていて下さい。終わったら来ます」
「
さん、お仕事頑張って下さい」
「はい! 頑張ります!」
笑顔の
を見送った後、他の席に着いて女性客の接客をする
を眺める。緊張した面持ちの女性が
と少し話して笑顔になるのを見て、ガーネットは微笑んだ。まるで先程までの自分を見ているかのようだと感じる。
しばらくするとガーネットの席にお茶とケーキが運ばれてきた。
「お待たせしました。ケーキと紅茶のセットでございます」
執事服ではあるがあまり愛想のない店員がそのまま去ろうとしたので、ガーネットは慌てて彼を引き止める。
「あの、わたくしは何も頼んでいないのですが」
「ああ、それは
からだ。あんた、
が連れてきた子だろ? あいつはウチの一番人気執事だからちょっと時間かかるかもだけど、気長に待ってやってくれ」
を見ると、目が合う。
『よかったら食べて下さい』
そんな口パクの後パチっとウインクをした
にガーネットはドキッとして慌てて目を逸らした。周りがうるさくて聞こえないはずの心臓の音がやけにうるさく感じる。おそるおそるまた
に目を向けると、
はもう接客に戻っていて目は合わない。少しホッとしたガーネットはティーカップに手を伸ばした。
「
さん、本当に色んな女の子を笑顔にしていらっしゃる……」
自分とあまり歳は変わらないというのに自分は今何をしているのだろう。駄々を捏ねる子供と何ら変わりないではないか。このままでいいのだろうか――否、そんなわけない。自分はアレクサンドリアの王女だ。将来は母のように国を守らなければならない。
お茶とケーキを口に運ぶ。美味しい。だけど、味気なく感じてしまうのは頭の中に広がるもやもやのせいなのだろうか。
「ジタン、申し訳ないのですがしばらく一人で回せますか?」
がもう一人の執事服の少年に声をかけた。
「おー! 任せろ! 見てろよ、お前を抜いてすぐに人気ナンバーワンになってやる」
「あ、あはは……」
そんな会話の後、二人がハイタッチをしているところを見ると、仲が悪いわけでは無さそうだ。寧ろとても息が合っている、ガーネットはそう感じた。
「お待たせしてしまってすみません」
どうやら
は接客を彼に任せて自分の所に来てくれたらしい。ガーネットは慌てて席を立ち、
に頭を下げた。
「あの、
さん! お茶とケーキ、ご馳走様です」
「気にしないで下さい! ここに連れてきたのは僕ですから。これは自慢なのですが僕、結構稼いでますので」
人気ナンバーワンですから、と言いながら先程の彼に視線を向ける
。わざとらしい自慢気な態度が可笑しくてガーネットはつい笑ってしまう。
「ふふっ」
「ようやく笑ってくれましたね。セーラさんは笑っていた方が素敵ですよ」
ガーネットの椅子を引いて席に着くよう促しながらふわっと微笑む
。ガーネットは顔に熱が籠るのを感じた。
城にも執事はいる。当たり前のように椅子を引いてもらう。だけど、こんなにドキドキした事はない。このドキドキは、知らない場所だからなのか、
だからなのか――。
「お母様への怒りは収まりましたか?」
が訊ねると、ガーネットは薄らと自嘲した。
「ええ。冷静になったら、わたくしがしていることはただの我儘であり児戯に等しいものだと痛感しました」
城を飛び出した時の気持ちはもう無い。ただ、今は母への罪悪感がずしりと重くのしかかっている。
「そういうのもたまにはいいと思いますよ。心配かけた分、お互いに愛情を再確認できたと思います。今はゆっくり休んで、元気になったらお母様に会いに行って下さい。セーラさんが無事に帰ったら絶対喜びますよ」
「本当に喜んで下さるかしら。わたくし、お母様に嫌われていないかしら」
「喧嘩をするのは、お互いと向き合えている証拠です。嫌いだったり無関心なら、話すらできないと思います」
の言葉に、ガーネットの心はどんどん軽くなっていく。もう城を出る時の重さはすっかりなくなっていて、できることなら今すぐにアレクサンドリアに帰り母に謝りたい。
「
さんは、しっかりしていますのね。わたくしも
さんのようになりたい……」
「僕は、セーラさんは今でも充分とても魅力的な方だと思いますよ。気品があって本当のお姫様みたいです」
お姫様、と言われて少し驚いた。しかし、正体がばれたわけではない、焦ることはないと自分に言い聞かせてガーネットは微笑む。
「ふふ、ありがとう。わたくし、そろそろ帰ってお母様に謝らなければ」
席を立ち、お世話になった
に礼儀正しく頭を下げる。それは完璧な王女の仕草で、
は目を瞬かせながらガーネットを見つめていた。はっと我に返った
は慌ててガーネットに声をかける。
「あ……あの、お送りしましょうか?」
「いいえ、大丈夫。
さんはまだお仕事が残っているのでしょう? わたくしの家はここから遠いのです。それに、このお店の道は昔お父様と歩いた事があります」
「わかりました。本当でしたらお家までお送りしたかったのですが……申し訳ありません」
家までついてこられてしまっては流石にまずい。昔、父と共に劇場に来た時の記憶を頼りに帰るしかない。ただ、
とこのまま別れるのが惜しくはある。
「
さん……また、会えますか?」
「きっとまた会えます」
お互いの顔を見合った後に笑い合い、最後に握手を交わす。手を離すのが名残惜しく感じた。
次に会う時は、セーラとしてではなく、アレクサンドリアの王女ガーネットとして会いたい。正体を知ったら
はどんな顔をするだろう。そして、今日のお礼に食事に誘ってみたりなんかして。それから、それから――。
※ ※ ※ ※ ※
あれ以来、ガーネットは
と会えることはなかった。
アレクサンドリアに帰った後、リンドブルムを捜しても
という少年はいない。あのお店の人に尋ねても臨時で雇った行商人だという答えしか得られなかった。そして、そのお店も数日後には閉店していた。
ガーネットの初恋は淡い思い出として残るだけになってしまったのだ。
しかしその数年後、
の事を忘れかけていたガーネットはある少女に
と同じことを
と同じ表情で言われた。
『ダガーさん、やっぱり笑っていた方が素敵なのですよ!』
思い出の中で恋い焦がれていた彼は彼女だったのだと気づいた瞬間だった。
と出会ったのはリンドブルム。彼女、
もまたリンドブルムに住んでいた。話し方や声色は若干違えど、髪の色も目の色も仕草は同じ。どんなに探しても
という少年は存在しないのだ。だけど、今目の前にいるのは間違いなくあの時の優しかった彼だ。彼女は二度もガーネットの心を救った。
彼――いや、彼女の事が好き。だけど彼女には好きな人がいる。絶対に叶う事のない恋だけど、せめて仲間として、願わくば親友として彼女の隣にいられたら――わたくしはそれだけで幸せだ。
「ねぇ、
」
「何ですか? ダガーさん」
何気ない旅の一コマ。ダガーことガーネットは
の隣で彼女の可愛らしい顔を眺めながら想う。
――あの時出会った白馬の王子様の正体は可愛い子犬だったんだな。ガーネットは微笑むと、
にもたれかかり、
「大好きよ」
耳元で呟いた。
「わっ、急にどうしたんですか!」
「
はわたしのこと好き?」
「もちろん、大好きなのですよー!」
それはきっと仲間としてなのだろう。周りに人が大勢いる
だ。自分はその中の何番目であるのかはわからない。でもいつか、あなたの2番目になりたいとガーネットは思った。
執筆:22年10月22日