雨で草木に滴っていた水滴が少しずつ乾いていたが、少し蒸し暑さを感じた。
 クジャの寿命がそう長くは無いということを知ってしまったは、一人で夕飯の買い物をしていた。何事も無かったかのように振舞おうと思っても、心は悲しくて苦しいと訴え続けている。足が重く、頭はボーッとする。
 クジャの優しさに触れて、はクジャと打ち解けられた。人は誰しも必ず死が訪れるが、だけど、クジャの死はあまりにも早すぎると思う。

(こんなことなら、心からクジャを憎んでいるうちに見殺しにしておけばよかったの?)

 は財布を握り締め、涙が出そうになるのを必死に堪えていた。

、元気ないね。まだ風邪が治ってないの?」

 野菜を売っている黒魔道士が心配そうにを見つめた。は無理矢理笑顔を作り、「そんなことないよ」と話す。黒魔道士たちに、余計な心配をかけたくないと、は思う。しかし、一筋の涙がの頬を伝い、地面に落ちていく。の涙は少し湿った地面に溶けていった。

「悲しいの?」

 黒魔道士も悲しげな顔をした。は慌てて手の甲で涙を拭い、首を横に振り、苦笑する。

「ううん、悲しくないよ。目にゴミが入って痛かっただけ」

 大丈夫だよと黒魔道士を諭し、は歩き出した。

(本当に、クジャに振り回されてばかりだなぁ)

 両親も家も奪われて、この村に辿り着いたらクジャと出会ってしまって。折角、お互いのこと分かり合えてきたのに、もうすぐいなくなってしまうなんて。
 は倒れたときのことを思い出す。クジャに抱きしめられたあの時の言葉。

(二度と泣かせないのでしょう? 私を幸せにしてくれるんじゃないの?償うんだよね?)

 全部嘘だったのだろうかと、は眉間に皺を寄せた。力を抜いてしまったら、ずっと涙が止まらなくなってしまう。そんな気がした。
 ――クジャが、好き。
 好きだからずっと一緒にいたい、この気持ちはどうやっても止めることはできない。

(殺された両親がそれを知ったら何て思うだろう)

 きっと、許してはくれないんだろうと、は苦笑いを浮かべた。

!」

 名前を呼ばれて振り向くと、ジタンがしっぽを大きく揺らしながら走ってくる。はぁはぁと息を切らしながら、ジタンはの荷物を持つ。

「帰りが遅いから心配したんだぜ。まだ病みあがりだし、倒れてないかってさ」

 は慌ててジタンから荷物を取り返そうとするが、ジタンはさらっと避けてしまう。

「荷物、オレが持つよ」

 ニカッと笑うジタンに、はぎこちなく微笑んだ。

「あ、ありがとう」

 そんなを見て、ジタンの笑顔は消える。さらに、の目尻に涙の跡があることに気づき、小さくため息をついた。

「やっぱ、沈んでるな。クジャのことだろ」

 ずばり言い当てられたは、一瞬目を丸くし、こくりと頷く。

「あたり」

 水溜りを跨ごうとしたは、歩幅が小さくて足に水が掛かってしまった。少しだけ濡れてしまった足元を見て自嘲する。

「あいつの寿命は、どうにもならないさ。あいつが黒魔道士たちの寿命を変えることができないように、クジャ自身の寿命を変えることはできないんだ」

 の考えていた唯一の可能性を、ジタンはあっさりと否定した。もしかしたらとは思っていたものの、はっきりとわかってしまうと、やはりショックだった。もう、が思いつく、クジャが助かる方法はないのだと、絶望した。

「そうなんだ。黒魔道士たちを創ることができるクジャならって、少し思ってたけど……ダメなんだね」

 黒魔道士もクジャも、寿命はどうにもならないということ。の知る限り、寿命を延ばすことは、医学的にも不可能だ。医術は、病気や怪我を治すことはできても、寿命を前にしては無力になる。クジャでさえできないなら、もうどうにもならない。

「あのさ、オレと二人で旅しないか?」

 突然のジタンの提案に、は耳を疑った。こんなときに何を言い出すのかと思う。

「旅?」

 世界中を回って、クジャを助ける方法でも探そうとでも言うのかと、は考える。
 ジタンは空を仰ぎ、の手を握った。の体温が感じられる。あまり温かくもなく、冷たくもない、自分と同じくらいの体温。
 は目を瞬かせてジタンを見つめると、ジタンは今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。

「そしたら、楽しくてクジャのことなんて忘れられるし、クジャが死ぬところなんて見なくても済むだろ?」

「ジタン、それは……」

 ジタンはを、クジャのいない世界へ連れ出したかった。恐らくクジャを好きになってしまっただろう彼女に、クジャの死を見せたくなかった。両親と家と、150号という友達を失った上に、好きな人まで失ってしまったら、はどうなる?
 ジタンは震えた。考えただけで、悲しくなる。

(どうして、ばかりこんなにツライ思いしなきゃいけないんだよ)

 いっそ自分についてきてくれたら、自分を好きになってくれたら絶対にそんな思いはさせない。

「オレを選んでよ。そしたら、ずっとオレが守るから。ずっと、だけをさ」

 ジタンをじっと見つめ、は俯き、唇を噛み締めて、ジタンを思う。いつでも気にかけてくれる優しいジタンが、いつか自分よりずっと素敵な人に出会えるようにと願う。

(私のこと、気遣ってくれてありがとう)

 クジャを選んだことで、これから起こる悲しみも全て受け止めたい。クジャと一緒にいることこそが、自分にとっての幸せだとは思う。

「ジタン。私、最期の瞬間までクジャと一緒にいられる時間を大切にしていきたい。だから、ごめん」

 ほんの少し前まで恨んでいた相手が、まさかこんなに大切な人になるなんて思いもよらなかったと、笑ってしまう。
 が優しく微笑むと、ジタンは呆れたように笑みを浮かべる。

「……そっか。やっぱ、クジャのことを本気で好きになっちゃったんだな」

 きっと、勇気を振り絞って告白してくれたのだろうと、は申し訳なくなる一方、ジタンのその気持ちが嬉しかった。
 ジタンのしっぽが悲しげに震えている。はそれに気づかないフリをした。

「クジャに殺された両親に申し訳ないから、クジャのことなんて好きになっちゃダメって自分に言い聞かせてたけれど、やっぱり自分の気持ちには嘘つけないや」

……」

 ジタンの表情を見て、は心を痛めた。

「ごめん。折角好きだって言ってくれたのに、それに応えられなくて」

 もっと、自分がしっかりしていたら、ジタンが悲しまなくて済むような言い方ができたかもしれない。そう思いながら、ジタンの傷心した表情を見ていた。
 だけど、今のにはこれが精一杯の返事だった。
 ジタンはの表情が曇っていくのに気づき、あははと笑い出す。

「バカだなぁ。明日死ぬかもしれないヤツを選んで、こんないい男を選ばないなんてさ!」

 無理に笑うジタンがとても痛々しく感じられた。はジタンの手をぎゅっと握り返した。

「うん。私、ジタンのことを好きなままいれば……きっと、こんなに苦しい思いしなくて済んだのにね。バカだよ」

 もし、あの時クジャの治療をしなかったら?もし、自分に嘘をついてでもジタンを選んだら?

(後悔はしてない。自分の気持ち従って生きているだけだから)

 は思う。きっと、これでよかったのだと。

「……違うさ。オレがもっと早くへの気持ちに気づいてれば良かったんだけどな。いやー、しかしオレって本当、タイミング悪すぎだよなーっ!」

 今更悔やんでも仕方ないとわかっていても、それでも悔しい。

(失恋しちまったけど、がそれでいいなら、オレは応援するさ)

 ジタンは潤ってきた目を閉じてわざと大声で笑った。笑っていれば、涙なんて吹き飛ぶと信じて。

「……ジタン」

「ん?」

 の手が離れていく。ジタンはそれを惜しく感じながらそれを見つめる。

「ありがとう」

 の目にも、涙が溢れていた。
 ここ数日の間に目まぐるしく変わっていった環境。クジャとジタンがこの村に来てから、本当に色々なことがあったと、は改めて思う。



※ ※ ※ ※ ※



 星空の下で、とクジャは二人で屋根に上っていた。ジタンが気を利かせたためだった。
 はなるべくクジャの下半身を見ないようにしながら目を泳がす。クジャが好きだとわかった今、緊張でいつもの調子が出せないでいた。しかし、クジャはいつも通りで、優雅に星なんか眺めている。
 は自分だけ緊張していることに気づき、脱力する。

(そうだよね、緊張したって何もいいことないよ)

 こんなに穏やかな雰囲気だから、クジャの寿命が近いことなんて嘘みたいだった。

「あの、ずっと言おうと思ってたんだけどね……」

 今なら言える気がした。
 倒れていたところを助けてくれたことと、看病をしてくれたことお礼。今まで言いそびれてしまっていたけれど、ようやく言える。

「なんだ、やっと僕の魅力に気づいたのかい? 仕方が無いね。さ、どんと飛び込んできなよ」

 しかし、クジャはニコニコしながら両腕を広げ、水を差す。は頬を膨らませてクジャの前髪を引っ張った。

「どうしていつもお礼を言おうとすると邪魔するかなぁ、このナルシスト」

「痛い、痛いって! 僕の艶やかな髪が抜け落ちる!」

 クジャは抵抗しての肩を掴む。するととクジャは見つめ合う形になる。の心臓がドキンと跳ね上がり、無意識にクジャの前髪を手放した。クジャはそのままの小さな身体を抱きしめた。
 トクントクンと聞こえてくるクジャの心臓の音を聞きながら、は目を閉じる。

(お願いだから、止まらないで)

 クジャの背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめ返す。

「助けてくれてありがとう。看病してくれてありがとう」

 やっと言えた、ありがとうの言葉。
 はゆっくりと上を向いた。クジャの顔が近くて、少し動けばくっついてしまいそうな距離。

「お礼なんていい。僕はがいなくなるのが嫌だっただけだよ」

 ふんわりと微笑んだクジャの顔は、世界中の誰よりも綺麗だなとは思った。長い睫毛、ぷっくりした唇、整った顔。そこらの女性よりずっと女性らしいかもしれない。クジャが自分を美しいと自讃するのは頷ける。

「私だって、クジャがいなくなるのは嫌」

 いつのまにかクジャが傍にいる生活が当たり前になっていて、それはいつまでも続くものだと錯覚していた。だから、クジャがいなくなるなんて容易に想像できない。

(というより、したくない……)

 現実を直視したくない、このまま時間が止まればいいとは切実に願った。



 ずっと笑顔にならないの髪に触れ、クジャはそっと目を閉じる。初めて愛しいと思えた人、

(こんなに近くにいるのに、手が届かないみたいだよ)

 できることなら、もっと生きて、人並みの生活をしてみたいとさえ思った。

「本当にどうにもならないの? 黒魔道士たちを創れたクジャなら、寿命くらい操れるでしょ?」

「無理だよ、。……無理なんだ」

 クジャの言葉に、は目を潤ませた。
 せめてあと数年でも生きられればと、目を細めれば涙が溢れ出す。

「私、何の為に医者になろうとしてるんだろう。目の前の命を救う為に医者になりたかったのに、誰一人助けられない」

 目の前からいなくなってしまった大切な人たち。誰一人として助けられず、また一人いなくなってしまうのも助けられない。もどかしさと焦りと恐怖がを襲う。

「そんなことない。があの時僕を治療してくれたから、今こうして生きていられて、を好きになれた。これが最善の方法だったんだよ」

 の涙を指で拭い、クジャは微笑む。それでも納得いかないは涙声でクジャに問いかけた。

「でも、クジャは私を幸せにしてくれるって言ったよね?」

 あの時言った事は何だったのか、クジャがいなくなって、どう幸せになると言うのか。
 はクジャを凝視する。クジャの瞳には真剣な表情のが映った。クジャは一枚の紙切れを取り出し、に差し出した。

「財産譲渡の契約書だよ。トレノの街に僕の屋敷と財産がある。僕が死んだら、そこで生活するんだ」

 それでお金に困ることはなくなると、クジャは言った。トレノの屋敷は広いし警備もついているから安心できる。今より、昔よりもずっといい暮らしができるとクジャは思った。
 しかし、は拳を握ってクジャの胸を叩く。

「違う……私、クジャがいないと幸せになれないよ。憎しみよりも好きっていう気持ちの方が大きくなってしまったの。だから、死なないで、ずっと傍にいてよ!」

 どんなに豪華な暮らしを得られるより、貧しくて慎ましい生活でもいいから、大好きなクジャと一緒でなければ幸せになれない。

(まるでどうにもならない現実に駄々をこねる子供だ)

 はクジャの腕にしがみつき、泣き崩れた。

「ありがとう、

 二度と泣かせないなんて言っておきながら、思いきり泣かせてしまったなとクジャは苦笑する。
 好きになってもらえるなんて思わなかった。ずっと憎まれ続けるのだと覚悟していた。
 クジャは再びの身体をぎゅっと抱きしめた。

(キミにそう言ってもらえただけで、悔いはない)



執筆:09年7月29日
修正:16年05月14日