ブルメシアは雨が降っていた。雨のにおいに混じって血のにおいが鼻を掠め、わたしの隣でビビくんがたじろぐ。
姉御は無言のままぐぐっと奥歯を噛みしめて、奥を見据えた。建物は所々破壊され、見るも無残な風景が広がる。雨によってその悲愴感が増していた。もう、生きている人はいないのではないかと思えるほどに酷い有様だ。
こんなことをするなんて、アレクサンドリアは、ブラネ女王はいったい何を考えているのだろう。戦争なんて何の意味があるのだろう。今までの通りでは何がいけないのだろう。きっと、わたしがどんなに考えたところでそれは一生理解できないと思うけど、そう思わずにはいられない。
「ダガーの奴、こんな危険なところに……」
ジタンがつぶやく。
本当にダガーさんがこんな場所にいるのだとしたら、早く彼女を見つけなくてはいけない。それなのに、私はダガーさんとジタンが合流してしまうことが少し怖い。
――ううん、今はそんなことを考えている場合じゃないんだ。気を引き締めなくちゃ。
ブルメシアの王宮は奥の崖の方にあり、その前が居住区なのだと姉御が教えてくれた。しかし、居住区はすでに落とされた後だ。ネズミ族の亡骸が老若男女問わず、横たわっている。人の気配は全くない。
もうすぐ王宮に入るというところで、姉御が足を止めた。
「これまで見た居住区の荒れ様を見ると、私はこの先へ進むのが恐ろしい」
「フライヤのおねえちゃん……」
姉御を心配そうに見上げるビビくんに、姉御が問いかける。
「ビビは、恐ろしくはないのか? この先にいるのは、恐らく黒魔導士たちじゃ。おぬしがこれから見る現実は、おぬしの生き方に影を落とすやもしれぬぞ?」
「だけどボクは……ボクがどんな人間なのか知りたいんだ。人間じゃ、ないのかもしれないけれど……」
この先に進めば、王宮もすでに陥落しているかもしれない。それはブルメシアという祖国を大切に思う姉御にとってとてもつらいことだ。
そして、アレクサンドリア率いる黒魔導士兵はビビくんと似ている。もしかしたらビビくんと彼らは仲間なのかもしれない。だけど、ビビくんは黒魔導士兵とは違う。少し臆病だけど、とても優しい男の子だ。残虐なことなんてしない。
「ビビくんはどう見ても人間の子供ですよー」
「そうだぜ、ビビ。お前とあんな奴ら、どう比べてみても全然違うぜ!」
わたしとジタンがビビくんの肩を軽く叩くと、ビビくんは「うん……」と小さく頷いた。
あとは姉御だ。先程から王宮の方を見たまま口を堅く結んでいる。
「姉御、こうしている間にもブルメシア王が危険な目に遭っているかもしれないのです。急ぎましょう」
「……そうじゃな。私には故郷が、そして王が大切なのじゃ! ここまで来て後戻りはできぬ。王宮へ急ぐのじゃ!」
姉御はぐっと槍を握りしめ、王宮へ駆け出した。
※ ※ ※ ※ ※
空で雷が激しく轟く。激しい攻撃を受け、廃墟と言っても過言ではない王宮を仰ぎ、わたしたちは絶句した。
姉御は王宮の前で膝をつく。ばしゃりと音を立てて水たまりの水が弾けた。
「フライヤ、この様子じゃブルメシア王の命はきっと……」
ジタンが声をかけるも、姉御は無言のままだ。わたしはただ、その様子を見ていることしかできなくて、気の利いたことも言えないもどかしさを感じる。
姉御は、自分の祖国が攻められているという時でもわたしを心配してくれたのに……。
「だけど、ダガーがブルメシアに来た気配はまったく無かったな」
「……」
ひとまず、ダガーさんがいなかったことは不幸中の幸いだと思う。 だけど、今はダガーさんのことよりも大切なことってあるんじゃないのかな。
ジタンはわたしの気持ちも知りもせず、「どこに行ってしまったんだ、ダガー」と続けた。
――本当にジタンの頭の中はダガーさんのことばかり。ジタンのバカ。
わたしが頬を膨らませていると、姉御が突然立ち上がり、鋭い目つきで王宮を睨み付けた。そして、破壊された外壁を凄い跳躍力で上り始めた。
「王宮の中に人の気配がする! おぬしらも早く登ってくるのじゃ!」
ジタンが足場になりそうなところを見定めるも、到底わたしとビビくんでは登れそうにない。
そう判断したのか、ジタンは苦笑いを浮かべた。
「登れって言ったって……ビビとには無理だろ」
それでも、事は一刻を争うのだ。わたしたちのことは気にせずにジタンだけでも姉御と一緒に行ってほしい。
「ジタン、わたしとビビくんは他に入口を見つけて行きます! 構わず先に行っていて下さい!」
わたしの提案にジタンは少し考えた後、こくりと頷いた。
「わかった、気をつけろよ二人とも! ビビ、のこと、頼んだからな!」
「わ、わかった……!」
「行きましょう、ビビくん」
「う、うん……!」
ジタンと別れ、わたしとビビくんは王宮への入口を探しに走り出した。
ジタン、ダガーさんのことだけじゃなくてちゃんとわたしのことも考えててくれた…それは小さい事でもわたしにとってはとても嬉しいことで、思わず顔がにやけてしまった。
※ ※ ※ ※ ※
入口を見つけて中に入ると、人の気配を感じる。
人の話し声が聞こえてくる広間に向かうと、そこには女騎士と高貴なドレスに身を包んだ女性と、そして――
「クジャさん!?」
わたしのお得意さんである、クジャさんだ。
飛空艇技師になっても、クジャさんはわたしのことを応援してくれていたし、定期的に機械の製造も請け負っていた。
あの高貴な女性がアレクサンドリアの女王ブラネだとしたら、あの女騎士は大陸一強いと噂のベアトリクス将軍で。ここにクジャさんがいるということは、きっとクジャさんはアレクサンドリアによるブルメシア侵攻の一端を担っていたということだ。
それが真実なら、わたしは間接的にアレクサンドリアに加担してしまっていたということになる。
「素晴らしい雨じゃないですか。まるで、そう……我々の勝利を祝福しているよな」
クジャさんは両手を掲げ、妖艶に微笑む。
「おお、クジャ! おまえのくれた黒魔導士たちのおかげでブルメシアはもう征服したようなものじゃ! しかし、ブルメシア王を仕留めねばあやつらは勢力を盛り返すだろう……」
「ただ今、ゾーンとソーンがブルメシア中をくまなく捜索しております」
ブラネ女王とベアトリクス将軍の会話から、ブルメシア王がご無事だという事がわかった。恐らくどこかであの会話を聞いているだろう姉御を思い、わたしはほっと胸を撫でおろす。
「無駄なんじゃないかな。知ってるかい? ネズミっていうのは地震が起きると集団で引っ越しをするのさ」
「それでは……」
「そう、奴らの逃げる場所はもうクレイラだけ。しかしあの砂漠は砂嵐で容易には攻められない……そこでこのクジャめが陛下にご満足頂けるショーをお届け致します」
今度は、クレイラが攻め込まれてしまう。
わたしが、知らなかったとはいえ、クジャさんに協力したせいでこんなことになってしまった。だから、わたしが彼を止めなくてはいけない。だけど、そんな事ができるのだろうか? 相手はブルメシアをこんな風にしてしまったアレクサンドリアのど真ん中にいる。今のわたしではクジャさんに近づくことさえできない……。
そうこうしているうちに、ブルメシア兵が一人ブラネ女王達に向かって行くのが見えた。
――危ない!
そう思った瞬間、向こうの壁の上からジタンと姉御が飛び出す。わたしたちも行かなくては……だけど、あんな人たちに勝てるのだろうか。
足が竦んで動けないでいると、ビビくんが心配そうにわたしの手を握る。
「おねえちゃん、大丈夫?」
「ごめんなさい、大丈夫です……ジタンたちに加勢しなきゃですよね!」
ビビくんの手の温かさのおかげで、少し落ち着きを取り戻せたと思う。
わたしとビビくんはジタンたちと合流する為に広場へと走った。
「! ビビ!」
ジタンと合流し、わたしとビビくんも武器を構える。ベアトリクス将軍の威圧感は凄まじい。まるでこれ以上近づけば容赦はしないというのがピリピリ伝わってくる。
そんな一触即発の雰囲気の中、クジャさんがわたしの存在に気づいて一人高笑いを上げた。
「やぁ、。まさかキミがこんなところにいたとはね。リンドブルムの城から抜け出したのかい? 悪い子だ」
「クジャ、知り合いか?」
ブラネ女王が品定めするようにわたしを見る。
――怖い。
そう思ったと同時に、ジタンがわたしを背に庇ってくれた。
「ええ。彼女は腕のいい技師でして。色々なものを彼女から仕入れているのですよ」
クツクツと笑いながらクジャさんはわたしを見つめる。
「、やっぱりこの男はお前にちょっかい出してた客だな!?」
「はい……ちょっかいを出されたかは覚えがないのですが、わたしのお得意さんだった方です!」
ジタンもどうやらクジャさんのことを覚えていたようだ。ちょっかいというのは、手の甲にキスされた事だろうか? それは初対面だった時のあの一回だけだし、あとは至って普通に商談と取引きをしただけだ。
「クジャさん、あなたはわたしのことを騙していたのですね!」
クジャさんを睨みつけるも、クジャさんは笑うだけだった。彼には余裕がある。
「騙す? キミは何を言っているんだい? 僕が頼んだものをキミが作る。それは商売だからね。けど、それをどう使うかはキミには関係のない事さ。それよりも、どうしてキミがここに?」
「わたしは、ジタンの役に立ちたくてリンドブルムを出ました……ですが、目的が変わりました。あなたがアレクサンドリアに与するというのでしたら、放っておくわけにはいきません!」
「なるほどね。しかし残念だけど、今は邪魔されるわけにはいかないのさ」
クジャさんを守るように、ベアトリクス将軍がわたし達の前に立ちはだかる。
降り頻る雨の中、戦いの火蓋が切って落とされた。
執筆:16年5月21日