酒場に入れば、大好きなあの人の背中が見えた。その寂し気な背中に罪悪感を覚えながらこっそりと背後に立つ。
――気づかれない。いつものジタンなら敏感に反応して、すぐに振り返って名前を呼んでくれるのに、だ。それは相当参ってしまっていることを意味している。
勝手なことをして心配をかけてしまったという自覚はある。あんな別れ方をしてしまったのだから。
ジタンにはわたしの気持ちが伝わってしまっている。死を覚悟して告白したのに「実は生きていました」だなんて恥ずかしいことこの上ない。どう声をかけていいのかわからない。だから、なかなか声をかけられずにその背中を見つめる事しかできなかった。
「……」
不意に名前を呼ばれてドキリとする。
「やっぱ、納得できないぜ。お前がこんなことになるならあの時リンドブルムに置いて行けばよかったんだ」
どうやら、まだわたしが背後に立っている事に気づいていないらしい。
机に突っ伏しながら、彼の中では空にいるだろうわたしに話しかけているジタンの背後で思わず笑みをこぼし、その背中にそっと触れる。
「そしたら、はきっと怒ってジタンを追いかけていたのですー」
「――!?」
瞬間、ジタンが振り返り目を見開いた。ようやくわたしの存在を認識したジタンはその目を潤ませる。
「えっと、ジタンに会いに来てしまいました」
「……!!」
机と椅子が大きな音を立てた。ジタンの手がわたしの手を掴んで引き寄せた後、ぐっと抱きしめる。わたしは驚いて口を魚のようにパクパクとさせながら目を回した。
「あ、あの! 苦しいのですー!」
「生きてたなら、どうしてもっと早くに帰ってこなかったんだよ!」
いつも強くて頼りになるジタンが今はとても小さく見える。彼をそんな風にしまったのは、他でもないわたしだ。
そっとジタンの首に手を回せば、より身体が密着する。微かに震えているジタンの身体にわたしは胸が締め付けられた。何で会いに来るのを躊躇ってしまったのだろう。一秒でも早くジタンに会いに来ればよかったのだ。
「……ご心配をおかけしました」
「すごく心配した」
「でも、ジタンが無事でよかったのですー」
「オレも、が生きてて本当によかったぜ……!」
そう言って、ジタンはわたしを抱きしめる力を強める。苦しい上に、ジタンの顔が近くて恥ずかしい。だけど、こうしてわたしの無事を喜んで、実感してくれているのだと思うと嬉しかった。
「……兄キ、いつもならここで邪魔するのに邪魔しないんスね」
「感動の再会なんだぜ、邪推なことしねぇよ。ただ、ここからジタンがに変なことしようとした瞬間、あいつの顔面にオレの拳が炸裂する事になるだろうよ」
「あんたらなぁ、いい加減にせんと、二人に聞こえてまうやん」
お店の入口からそんな会話が聞こえてきて、わたしとジタンはお互いの顔を見て思わず笑ってしまう。ジタンと再会の抱擁を終え、二人でお店の入口に向かって声を上げた。
「お前らなぁ、しっかり聞こえてるぜ!」
「盗み見なんて酷いのですー!」
すると、タンタラスの面々とビビくんが続々とお店に入ってくる。ブランクたちは全く悪びれた様子はなく楽しんでいる様子で、ビビくんも嬉しそうに微笑んでいた。
「もう、勝手にいなくなったりするなよな」
ジタンがわたしの手をぎゅっと握ったまま耳元で囁く。
「……はい!」
わたしは笑顔を作って頷いた。
――クジャさんとの事は伏せたまま。
「ねぇ、ジタン。ダガーのおねえちゃんに会いに行こうよ。きっとおねえちゃんを見たら喜ぶよ!」
ビビくんの提案に、一瞬わたしは息を飲む。だけど、もう迷わない。ジタンの幸せが、わたしの幸せなのだから。
「わたしも、女王様になるダガーさんにご挨拶がしたいですー! それに、お話したいこともありますし」
「……そう、だな」
ジタンのあまり乗り気ではない様子に違和感を感じながら、わたしとビビくん、そしてジタンでダガーさんに会いにお城に向かった。
※ ※ ※ ※ ※
アレクサンドリア城に行く途中、姉御と合流し、ジタンの新しい仲間だというサラマンダーさんに挨拶をした。姉御はあの後ブランクたちに助けられてルビィの小劇場に身を潜めていたのだという。サラマンダーさんはジタンについてきて何かと協力してくれるものの、本人は「ジタンを見極める為に行動を共にしているだけ」とのこと。なんにせよ、ジタンの周りはいつも賑やかだと改めて思った。きっと、ジタンの人柄と仁徳によるものだ。
そして、もう一人、再会したのは――
「エーコちゃん!」
「!?」
お城の入口でスタイナーさんにつまみ出されて地団駄を踏んでいたエーコちゃんだった。
「何だ、お前たち知り合いだったのか?」とジタン。その口ぶりからすると、どうやらジタンとエーコちゃんは知り合いらしい。もしかして、エーコちゃんの想い人というのは高貴な殿方などではなく、ジタンだったのだろうか。
「はい、先程一緒にお城の前までご一緒させて頂いたのですー」
「、あなたがもしかしてジタンの昔のオンナ……」
エーコちゃんもわたしとジタンの関係を考えていたのか、そんなことを呟いた。
「昔の……なんだって?」
「ううん、なんでもないわ!」
ジタンに聞き返されてエーコちゃんが慌てて首を横に振った。そして、わたしの顔を見て側に寄ると「が相手でも負けないんだから……!」と宣戦布告をされた。わたしは苦笑いを浮かべるしかない。
「おじちゃん、ボクたちダガーおねえちゃんに会いに来たんだけど……」
「姫さまでありますか……うーむ、ビビ殿の頼みとあらばなんとかいたしましょう!」
スタイナーさんはビビくん、そしてわたしたちの顔を見回し、最後にジタンの顔を見て顔をしかめた。
「少しだけなのである!」
わたしたちは吹抜けのある広間に通されると、しばらくして二階部屋の扉が開く音がした。その場にいた全員が視線をそこに集める。扉から出てきたのは、スタイナーさんに先導されて煌びやかな白いドレスを身に纏ったダガーさんだった。顔つきは以前と違い、それはまさに女王たる風格。
「おねえちゃん、綺麗」
「ほう、これなかなか」
「ダガー! すごく綺麗だわ!」
ダガーさんのその姿にビビくんたちが恍惚とした表情で見とれ、賛辞を贈る。わたしも初めて見るダガーさんのドレス姿に、昔絵本で読んで憧れていたお姫様の姿と重ねた。これが本物のお姫様なんだな、と思わず感嘆の息を漏らしてしまう。
「……」
「ジタン?」
しかし、ジタンだけは難しい顔をしたまま黙っていた。わたしが小声でジタンの名前を呼ぶも、ジタンの反応はない。
「みんな、ありがとう」
ダガーさんが微笑む。しかし、その微笑みは悲しげだった。
「ジタン、おぬしも何か言ってやったらどうじゃ!」
姉御もジタンが何も言わずにいる事を不思議に思ったのか、ジタンの肩を叩く。しかし、ジタンはダガーさんから視線を外して黙ったままだった。
「ジタン……」
ダガーさんは目を伏せれば、「姫さま、もうよろしいででありますか」とスタイナーさんが部屋に戻ることを促した。
「ダガー! もう会えないの!?」
エーコちゃんが階段を上り、ダガーさんを引き留める。何かを話し始めたようだけどよく聞こえない。なので、黙ったままのジタンに小声で話しかける。
「ジタン、どうしてなのです? あんなに綺麗なダガーさんを見て、何も思わないジタンではないと思うのですよ……」
女性に目がないジタンならば、きっと誰よりも先に賛辞を贈り、飛びつくはず。それが意中のダガーさんなら尚更そうするはずだと思っていた。だけど、沈黙を貫くジタンの心がわたしにはわからない。
「オレの言葉が、出てこないんだ。話したいことはいっぱいあった。応援しようって思った。けど、その気持ちは上辺だけで、本当は……オレは……また、お前がいなくなった時みたいに――」
わたしがお城で飛空艇技師として働くようになってから、ジタンに会うことが難しくなった。きっと、そのことがあって応援できないのかもしれない。自分の手の届かない場所に行ってしまうダガーさんを、心から応援なんてできないのだ。
本心では、女王なんかにならないで自分の傍にいてほしい――そう思っているのかもしれない。
「ジタン……」
前科のあるわたしは、これ以上何も言えない。ただ、ダガーさんはわたしのようになってほしくないと思う。このまま女王になって、ジタンと会えない日々を過ごして欲しくない。
エーコちゃんとの話も終わったのか、ダガーさんが踵を返して部屋に戻っていく。わたしはその場で叫んだ。
「ダガーさん、待って下さい!」
わたしの声に、ダガーさんが振り向いてくれる。目が合うと、ダガーさんは柔らかな笑みを浮かべてくれた。
「……生きていたのですね、よかった!」
「はい、ご心配をおかけしました……わたしも少しだけお話があるのですが、お時間よろしいでしょうか?」
ダガーさんは口をへの字にしながら姿勢よく立っているスタイナーさんに伺いを立てるように視線を配る。
「スタイナー」
「はっ! 嬢とは積もるお話もあるでしょう。しかし、少しだけですぞ」
「ありがとう。では、」
スタイナーさんのお許しが出て、ダガーさんが部屋に入るように促す。
「……姉御、ジタンをお願いするのですー」
「承知した」
わたしたちから視線を外しているジタンを姉御に任せ、階段を上ってダガーさんの私室に入った。
※ ※ ※ ※ ※
ダガーさんの私室は豪華だけど思っていたよりも物が少なく、机には本が何冊か重なっていた。その中にはエイヴォン卿の『君の小鳥になりたい』もある。
一刻の女王となるお方、そして想い人の想い人であるダガーさんと二人きりという状況に少し緊張するも、ダガーさんは以前と変わらない優しい笑みを浮かべてくれた。そのおかげで安心することができ、わたしは肩の力を抜いた。
「ダガーさん、まずは即位おめでとうございます。お母上のこと、残念でしたね……」
「も、あの時はありがとう。だけど二度とあんな事はしないでほしいの。わたくしもジタンもビビもすごく落ち込んだわ。特にジタンは……」
「はい、存じているのです……」
「話というのは、ジタンのことよね」
前置きはここまでにして、本題に入りましょう。ダガーさんの目がそう言っているように感じた。
「その通りです。ご存知かと思いますが、わたしはジタンのことが好きです。だから、ジタンには幸せになってほしくて――」
「……それで、わたくしにどうしろというのですか?」
確かに、わたしが言っていることはおかしい。だけど、ダガーさんも薄々はわかっていると思う。ジタンがあれほど必死にダガーさんを守っていたこと、大切にしていたこと。それがわからないほど、ダガーさんも鈍感ではないはずだ。
――ジタンが、ダガーさんを想っているという事に。
「ダガーさんはこのアレクサンドリアの女王になられるお方……これまでとは違って容易にジタンとは会えないとは思います。それでも、少しでも時間を作ってジタンと会って欲しいのですー」
そうでないと、きっとジタンは物怖じして自分から会いには来ないから。わたしも、本当はジタンに会いたかったのに、少しでも時間を作って会いに行かなかったから。それを今すごく後悔しているから。
「その役目はわたくしではなく、にこそふさわしいと思うわ」
「どうしてわたくしなの」と、怪訝そうにわたしを見つめるダガーさんは少し怒っているように見えた。しかし、わたしは臆せずに続ける。
「いいえ、わたしには婚約者がいます。ジタンとは一緒になることはできないのです」
その言葉を聞いて、ダガーさんが目を見開いて驚愕した。わたしにジタンではない婚約者がいる、そのことだけでダガーさんは察してくれたようで、もう怒気は感じられない。
「実は、ガルガン・ルーで自爆した後、婚約者……トレノの貴族であるキングさんに助けられました。彼から初めて、婚約者の存在を聞かされました。どうやら、わたしの養父とキングさんがわたしの知らないところで婚約の話を進めていたようなのです」
「そんな……婚約は破棄できないの!? だって、が好きなのはジタンで、キングではないのでしょう!?」
婚約の破棄――それをしたら、クジャさんはどうするだろう。トーレスおじさんたちは、無事で済むだろうか。それに、クジャさんは何故かジタンのことを憎んでいるようだったし、ジタンにも何をされるかわからない。それに、クジャさんはわたしを助けてくれた恩人でもある。それがわたしを利用する為だとしてもだ。クジャさんはきっと、独りぼっちで彼を止める人がいないのではないかと思う。それなら、わたしが結婚をする事で抑制できれば……。
「破棄は、しないつもりです。養父も兄も婚約を喜んでくれていますし、わたしがキングさんに嫁ぐことで生まれるメリットは多いのです。それに――」
少しの間ではあるけれど、ジタンたちと共に旅をした時の事を思い返す。ジタンは、いつでもダガーさんのことばかりで、わたしのことも見てくれはしたけれど、その差は大きなもの。ジタンと同じ気持ちじゃないことが、とても悲しかった。
「ダガーさんがリンドブルムを発った後、ジタンは何よりもダガーさんの身を案じていました。わたしはジタンに妹だとか子犬だとか言われましたし、ジタンの一番はわたしじゃないのですよ」
「そんなことないわ! だって、がいなくなった後のジタンは強がって平静を装っていたけれど、ずっと元気がなかったの。そう、ジタンの昔話も聞いたわ。がずっと一緒だったから寂しくなかった、今まで生きてこれたって言ってた……だから、ジタンの一番なんてに決まってるわ!」
「それは、恋愛ではなく、家族愛なのだと思うのですよ」
わたしはジタンと多くの時を過ごしてきた。だから、一人の女の子としてではなく、家族として見られているんだ。
ダガーさんは返す言葉を選んでいるのか、口を閉ざしたまま俯いている。これ以上は、ただのジタンの押し付け合いになってしまう。そんなの、ジタンに失礼だ。
「もし、ダガーさんがジタンのことを好きではないのなら、今の話は全て忘れて下さって構いません。ダガーさんがジタンのことを好きでないのでしたら、意味はありませんから」
ダガーさんが顔を上げ、わたしをじっと見つめる。
「は、ジタンが幸せになればいい――そういうことよね?」
「そういうこと、なのです」
「わかったわ」
ダガーさんが決心したように強く頷いた。
――これで、いいんだ。
「は本当にジタンのことが大好きなのね」
「はい、大好きなのですー!」
大好きなジタンが幸せになってくれれば、わたしも幸せなのだから。
執筆:17年6月3日