ダガーさんとの話を終え、お城にある飛空艇を拝見させて頂き、すっかり日も暮れたのでそろそろジタンのところに戻ろうと帰路についた時のことだった。船着場で佇むエーコちゃんを見つける。心なしか元気がなさそうに見えたので声をかけるのを躊躇ってしまう。しかし、驚かせないように後ろからそっと声をかけた。

「エーコちゃん? こんなところで、どうしたのですー?」

……」

 振り返ったエーコちゃんの顔は暗闇でよく見えなかったけれど、その声は少し震えている。わたしはエーコちゃんの隣に腰掛けてそっと彼女の頭を撫でた。
 わたしの中にあるエーコちゃんに関する情報は多くない。

「もしかして、ジタンのことでしょうか?」

「……そうよ。ジタンはダガーとのことしか頭にないわ。エーコのことなんて、ちっとも考えてない。あーっ! ジタンのバカ! バカ! バカ! ニブチンっ!」

 震えていた声を誤魔化したかったのか、エーコちゃんは大声を上げながらジタンを罵倒した。
 ジタンとエーコちゃんが出会ったのは、恐らくわたしが離脱してからのことだろう。その時二人がどんな出会い方をしたのかはわからない。だけど、女の子に優しいジタンのことだ。何かしらエーコちゃんの喜ぶことをしたのかもしれない。
 本当にジタンは罪な男だなぁと思いながら、幼かった頃の事を思い出す。トーレスおじさんたちに疎まれていたあの頃、ジタンと出会ったことで、地獄のような生活が一変したこと――ジタンはダガーさんに、わたしがいたからジタンは生きてこれたと話してくれたみたいだけど……わたしの方こそ、ジタンがいたから今まで生きてこれたのだ。

「ふふっ、そんなに言ったらジタンが可哀想なのですよー。否定はしませんが」

も、あのニブチンのことが好きなんでしょ? でも、ダガーのことものことも好きって感じでどっちつかずじゃない。二股かけられて頭に来ないの? ももっとジタンの悪口を言っちゃえばいいわ。今ならエーコしか聞いてないんだから」

 辺りを見回せば、確かに私たち二人以外に人が見当たらない。水面も静かで、船もまだ来そうにない様子だ。

「では……ジタンはいつもいつもダガーさんのことばかり! わたしが、どんな気持ちで今までジタンのために色々頑張ってきたと思っているのですか! わたしのこと、見てほしかったのですー!」

「そうよそうよー! ……って、待って。見てほしかったって、どうして過去形なの?」

 わたしの不満の叫びを一字一句逃さずに聞いてくれていたエーコちゃんの鋭さに目を瞬かせた。その鋭さに脱帽したくなる。

「わたし、ジタンのことは大好きです。でも、一緒にはなれないのですよ」

「それって……はジタンのこと、諦めちゃうの? ダガーにジタンを取られちゃってもいいの!?」

 痛いところを指摘されて、心に突き刺さる。でも、もう決めたことだ。
 ふと水面に波が立っているのに気づき、前を見ると渡し舟がやってきた。わたしはエーコちゃんに向かって苦笑いを浮かべる。

「渡し舟、来ちゃいました。エーコちゃんも、一緒に戻りますか?」

「答えないっていうことは、諦めちゃうってことよね?」

「――――」

 諦めざるを得ない状況なのだから、わたしがどんなに頑張ったところでジタンとは結ばれないのだから……諦めるしかないのだ。

「ねぇ、。何があったか知らないけど、エーコはのこと応援するわ! だって、ジタンにも後悔させたくなんてないもの……! 自分のきもちにウソついちゃダメなのよ!」

 初めてエーコちゃんと会った時の事を思い出す。あの時エーコちゃんはわたしを励ましてくれた。そして、また今こうして励ましてくれているのだ。ジタンが後悔するかどうかなんてわからないけど、わたしはエーコちゃんの言葉がただただ嬉しかった。励ますつもりが、逆に励まされてしまうなんて……情けないなぁと自嘲する。
 船に乗り、振り返ったわたしはエーコちゃんに深々と頭を下げた。



※ ※ ※ ※ ※



 みんながいるであろう酒場に向かっていると、建物の陰から声をかけられた。

「やぁお嬢さん。いくら治安がいいとはいえ夜道に一人で出歩くのは感心しないぜ」

 一瞬身構えたものの、それがジタンの声だとわかってすぐに警戒を解く。

「ジタン、こんなところでどうしたのですー?」

「お前が遅いから捜しに来たんだよ。まったく、オレの可愛い子犬はすぐどっかに行っちまうからな」

「す、すみません」

 ダガーさんとお話した後、少し寄り道をしすぎてしまったらしい。クジャさんを止めるために情報の擦り合せも必要だというのに、自分の欲望に負けて飛空艇に飛びついてしまったことを恥じた。
 だけど、ジタンがわたしを迎えに来てくれたことは嬉しくて、思わずにやけてしまう。月明かりしかない夜でよかった、なんて。

「……最初は、リンドブルム城だった」

 ジタンの声のトーンが低くなり、わたしは首を傾げる。

「飛空艇技師になるって言って城で暮らすようになっただろ。それから全然会えなくなっちまったなって……考えてた。でも、が飛空艇に興味を持ってるのは知ってたから、邪魔するわけにもいかなかったんだ。今思えば、もっと素直になってお前に会いに行けばよかったって後悔してる」

「ジタン――」

「次にガルガン・ルー。本当に死んじまったと思ったんだ。と離れてたこの数日、ずっとお前の事ばかり考えてた。オレはお前と一緒にいたいだけで、守ってほしいわけじゃないんだよ。またがオレの手の届かない場所に行っちまうのが怖い」

 そう弱々しく呟いたジタンがわたしの手を取った。指を絡めて、ぎゅっと握られる。

「だから、二度と無茶な真似はするな。オレの傍から離れるなよ」

 ジタンの真剣な眼差しに、わたしは躊躇した。まるで、愛しい人に向けての言葉に聞こえたからだ。
 こんなことを言われてしまったら、また決意が揺らいでしまう。婚約者であるクジャさんの存在がなければ、このままジタンの胸に飛びつくことができるのに。

「……わかりました、離れません」

 ジタンの、犬として。ジタンの、妹分として。
 わたしの答えに満足したのか、ジタンの表情が少し和らいだ気がした。

「それにしても、どうやって助かったんだ? あの時の爆発の落盤で道は完全に塞がれた。それにあの爆発で生きてるなんて、何か秘密兵器でも隠し持ってたのかよ」

 ついにきた。ジタンにこの話をするには、わたしの婚約者の存在を明かさなくてはならない。ガルガン・ルーで自爆する直前、ジタンに愛の告白をしてしまった手前、うしろめたい気持ちがある。
 それでも、黙っているわけにはいかないし、わたしが言わずにいても、いつかはジタンも知ってしまうのだろう。それならば、今わたしがここで意を決して話す以外にない。

「じ、実は助けて頂いたのです。トレノの貴族である……キングさんに」

 ジタンから視線を外す。ジタンの目を見てしっかりと話せる気がしなかった。

「キング――お前の、婚約者か」

 ジタンの口から出た意外な言葉に驚愕し、私は目を見開きながら再びジタンに視線を向ける。今の言葉が本当にジタンが言ったものなのか疑いたくなった。だって、わたしがキングさんと婚約していたということなんてわたしですら知らなかったのに、よりにもよって何故ジタンが。
 ジタンと繋いでいる手に力が入ってしまう。

「ジタン、どうしてそれを知っているのです……!? わたしもキングさんから聞いて初めて知ったのに」

 狼狽えるわたしに、ジタンが困ったように笑った。

「お前が城で飛空艇技師になった時に、トーレスのおやっさんに言われたんだよ。には婚約者がいるから、もうに近づかないでくれってさ」

「そう、だったのですか……」

 確かに、トーレスおじさんの気持ちはわかる。婚約を決めた以上、わたしが他の男性と親しくするのはよくないことだ。そして、わたしではなくジタンにそれを伝えたのも、きっとわたしを思っての事。そうわかってはいても納得はできず、ただただやりきれない気持ちだ。

「それで、はこれからどうするんだ?」

 その質問は、わたしがキングさんとの婚約を受けるかどうかという意味なのだろうか。ジタンは、わたしにどう答えてほしいのだろう。ダガーさんが好きだから、婚約を受けてもらいたいと思ってるのだろうか。或いは――いや、これ以上は考えないでおこう。考えたところで、無意味なのだから。

「ジタンがクジャさんを止めるつもりなのでしたら、わたしはジタンについて行きたいです。キングさんとの結婚も今すぐにというわけではないので、問題はありません。それまでは、わたしはジタンにだけしっぽを振っていたいのですー」

「なぁ、……」

 ジタンが神妙なお面持ちでわたしを見つめる。握られて繋がった手が一瞬緩められ、もう一度しっかりと握り直される。

「――悪い。やっぱ、なんでもないわ」

 そう言ってニッと笑ったジタンがわたしの手をゆっくりと放した。



執筆:17年7月3日