酒場に戻ると、姉御、サラマンダーさん、エーコちゃんの他に見知らぬ人の姿があった。話を聞くと、トットと名乗った学者風のその人はどうやらエーコちゃんを訪ねてきたのだそう。エーコちゃんの話が聞きたいという事で、トットさんのご自宅のあるトレノに向かおうとしたところに丁度わたしたちが帰ってきたらしい。ジタンもカードゲームの大会があるとのことでトレノに行きたがり、結局その場にいた全員でトレノへ向かう事にした。
密かに、トレノにクジャさんがいないことを願う――。
今はまだ、ジタンたちに余計な心配をかけたくない。だから、婚約者であるキングさんの正体がクジャさんであることは伏せたままだった。いずれは知られてしまうはずだけど、できるだけ先延ばしにできればいいと思った。
ガルガントに乗りながら、エーコちゃんとサラマンダーさんと出会いや霧の発生源を止めたこと、クジャさんがブラネ女王を殺してしまったこと等、わたしが離脱した後のジタンたちの動向を教えてもらった。
ブラネ女王の死にクジャさんが関わっていたことは薄々気づいてはいたが、それが真実だと知って閉口してしまう。
それからすぐにトレノに着いたので、その話題はそれきりだった。
「ねぇ、お話をする前に街を散歩してきてもいいかしら?」
一番最初にガルガントのカーゴから降りたエーコちゃんがトットさんに訊ねる。フライヤの姉御に支えてもらいながらゆっくりと降りたトットさんは立派な髭を撫でつけながら少し考えて「ええ、構いません」と微笑む。
トットさんの言葉を聞いたエーコちゃんは表情を明るくし、ビビくんの手を引いた。
「ビビ! 行きましょ!」
「えっ?」
「エーコはこの街に来るの、初めてなのよ! 案内してちょうだい!」
二人がけたたましく扉を閉めて出ていった後、階段を下りていく足音と共に会話も聞こえてきた。
「な、何でボクなの? ジタンじゃなくていいの?」
「ジタンはのことが大好きなの。もジタンのことが大好きなの。なのに二人とも臆病だから、なかなかくっつかないの。 ニブチンの二人は二人きりにしないとダメなのよわかる?」
「ちょ、ちょっとわからない……」
「もう! あんたもニブチンなんだから!」
部屋の外から聞こえていたエーコちゃんとビビくんの声が遠くなり、やがて聞こえなくなった。なんとも気まずい雰囲気になり、トットさんがコホンとひとつ咳払いをする。
「……お二人は、そういう仲なのですかな?」
「昔から恋人同士みたいなもんだよな。オレはニブいわけじゃない、がいつもオレの手から離れていってしまうのさ」
「じ、ジタン……!?」
突如ジタンがわたしの腰に手を回して密着してきた。わたしは慌てて抵抗するも、ジタンの力は強くてなかなか離れることができない。そっとジタンの目を見れば、目が合った。ニッと笑い「逃がさないぜ?」と耳元で囁かれる。
――あまりの出来事に、頭がクラクラして卒倒してしまいそう。
「まったく、先程二人で帰ってきた時に何があったのやら。折角時間ができたのだから、二人で有意義に過ごすことじゃ」
そう言って姉御もウインクを飛ばして部屋を出て行き、続いてサラマンダーさんも無言のまま部屋を出て行ってしまった。
楽しそうに微笑むトットさんと目が合って、居た堪れなくなったわたしは頬に熱が篭るのを感じながらジタンの胸を力いっぱい押してなんとか離れることに成功する。
「カードゲーム大会の受付! するのですよね!」
「あ、ああ」
「行くのです!」
逃げるように部屋を出たわたしを慌てて追いかけてくるジタン。その後ろでトットさんが「青春ですなぁ」と何度も頷いていた。
※ ※ ※ ※ ※
カードゲーム大会の受付をし、ジタンの番までまだ時間があるということでトレノを回ることにした。数日前、クジャさんと散策した記憶が蘇り後ろめたい気持ちになる。あの時はデートではない……と思いたいのだけど、周りから見ればきっとあれはデートだったのだろう。でも、今回は本当にデートのようだ。何故なら、こうして人気のない静かな夜景の綺麗な場所でジタンと手を繋いでしまっているからである。
「こうして二人で歩いてると、デートみたいだよな!」
何度もジタンの手を振りほどこうとしても、指を絡められて離れない。ジタンの表情を窺えば微笑んでくれるだけ。わたしが離れようとしていることなんて、知らんぷりだ。
どうして、ジタンを諦めた今になってこんな風になるのだろう。ずっとずっとこうなりたいって願っていたのに、どうして今なのだろう。
今までにないくらいわたしから離れようとしないジタンに戸惑ってしまう。
「わたしはジタンの恋人ではないのですよ」
わたしが否定すると、ジタンは歩みを止める。一瞬だけ表情が曇ったのをわたしは見逃さなかった。また笑顔を作ったジタンが両手でわたしの手を包み込む。
「ああ、には金持ちの婚約者がいるんだもんな。しかもこのトレノにだ。でも、オレとしてはキングの奴にデートしてる姿を見せつけてやりたいところだけどな!」
「ジタン……先程から、アレクサンドリアで迎えに来て下さった時から何かおかしいのです。どうして、ずっとわたしの手を握っているのですか?」
「……こうでもしてなきゃ、お前はすぐオレの前からいなくなっちまうからだよ」
「それは否定できませんが――質問を変えます。どうして、わたしに気があるかのような言動が多いのですか? 」
今まで親しかったわたしが別の人に嫁ぐことに混乱している? いや、ジタンはわたしに婚約者がいるということをトーレスおじさんから聞いて知っていたはずだ。今更それはない。
だとすれば、恐らくダガーさんだ。
ダガーさんが女王になってしまい手の届かない存在になってしまうことで、ダガーさんから逃げてしまっているのかもしれない。
――それは間違っている。
「なぁ、。婚約なんて破棄しちまってさ、オレと逃げないか?」
「え……?」
一筋の風が吹き抜けた。
ジタンは、今何て言ったの……本当に、ジタンが言った言葉なの?
「は、オレのことを好きだって言ってくれたじゃないか。オレだって、のことが好きだ。お前がいなくなってようやくわかったよ。オレはお前がいないとダメなんだってさ」
「――――」
「そうだ、盗賊にならないか? オレとお前の二人で世界中のお宝を手に入れるんだ。お前なら何でも器用にこなせるから、きっとできるぜ。まぁ、盗賊になるのが嫌ならオレが盗んだものをが裏で取引してさ。昔、言ってたよな? そういうこともできるように商売のことも勉強するんだって」
それは、いつか描いた夢だった。ジタンと二人で生きる世界。幼い頃何度も夢見た未来予想図。
その夢を実現させる為に、わたしは何だってやってきた。つらいこともいっぱいあったけど、ジタンのことを考えて必死に耐えてきた。今あるつらい現実に目を背けて二人で逃げたら、どんなに楽だろう。
それでも、わたしは――
「オレとなら、もう二人だけで生きていける……だから」
「――ありがとうございます。ジタンのお気持ち、すごく嬉しいです。とても魅力的なお話ではあるのです。ですが……お断りさせて頂きます」
絡み合った指が緩み、ジタンの手はだらりと宙を舞った。
断られると思っていなかったのか、ジタンは狼狽えながらゆるゆると首を横に振る。
「なんで、だよ。だって、はオレの事が好きなんだろ? オレだって、お前と同じ好きっていう気持ちなんだぜ?」
「ジタン、それは逃げようとしているだけではないのでしょうか。ダガーさんが手の届かない存在になってしまったから、きっと混乱してしまっているのです」
「逃げてないさ! オレはオレなりにしっかり考えてこの選択をしたんだ! これからはずっとと一緒に生きていきたいんだよ!」
わたしだって、ジタンと共に生きていきたい。ずっと二人で一緒に、幸せな生活を送りたい。今ここでジタンの差し伸べてくれた手を取ってしまいたい。だけど、ここで逃げてしまったらきっとわたしたちは後悔することになると思う。後顧の憂いを残して逃げた先で手にできる幸せなんて、きっと、無い。
ぐっと唇を噛みしめて、揺らぐ気持ちを抑え付ける。
「ジタンが本当に守りたいのは誰ですか?」
「そんなの、に決まってるじゃないか。ダガーは女王様なんだぜ? 守ってくれる奴なんて大勢いるんだ。オレが出る幕はない」
「でも、ジタン以上にダガーさんの身を案じている人をわたしは知らないのです。スタイナーさんやベアトリクス将軍ももちろんダガーさんのことを大切にしています。でも、リンドブルムからしばらく行動を共にさせて頂いて、ジタンは誰よりもダガーさんを大切に思っていると感じたのです。もちろん身内の贔屓目はありません」
「……それは、婚約者のいるお前の気持ちがオレに向いてたから諦めさせようとしたんだ! でも、本当はオレ――」
わたしの気持ちと、わたしに婚約者がいることを知っていたジタンだからこそ、わたしに諦めさせようとした。だけど、あの時のジタンは嘘を言っていたわけではない、少なからずダガーさんに惹かれていたのは本当だと思う。
今はダガーさんが遠い存在になってしまったから、ジタンはわたしを選ぼうとしてくれただけ。ジタンの本当の一番は、ダガーさんだ。
「わたしは守って頂くより守る方が好きなのですよ。ジタンに守られる程弱くないですー。技師ですので、それなりに腕っぷしは強いと自負していますし、商人ですからいざという時の為の護身術はしっかりと心得ています。ですから、ジタンはどうかダガーさんを守ってあげてほしいのです。わたしは、ダガーさんの代わりにはなれません」
「ならは、本当にキングと結婚するのか? それは強要されたからじゃなくて、キングが好きだからなのかよ!? お前は、オレじゃなくてキングを選ぶって言うのかよ!」
そんなこと、あるわけがない。わたしが好きなのはジタンただ一人だけ。そう、声を大にして言えたらいいのに。言葉を飲み込み、静かに首を横に振った。
「ジタンのことは今も変わらずお慕いしています。キングさんのことは好きかと問われても、まだわかりませんが、クジャさんを止めることができたら、結婚を考えています。キングさんに命を助けて頂いたご恩もありますし、育てて頂いたトーレスおじさんへの親孝行にもなりますし、商売的な観点から見ても合成屋としてもキング家は大きな後ろ盾になるのですよ」
「……確かにそれは大きなメリットだ。トーレスのおやっさんも安泰だし、キングの野郎も可愛い妻を娶れて万々歳だろうさ。けど、お前は自分の気持ちを蔑ろにしてる」
確かに、ジタンの言う通りだ。わたしは自分の気持ちを押し殺してこの選択をしたのだから。
ジタンの気持ちは本当に嬉しかった。だけど、これからは別々の道を歩んでいかなくてはいけない。ダガーさんが女王様という立場でなかったら、きっとジタンはわたしに逃げることなくダガーさんを選んでいたはずなのだから。
「わたし、ジタンが幸せならそれでいいのです。ジタンの幸せは、わたしの幸せなのですよ」
「納得はできない。でも、もう決めたんだな」
「はい」
クジャさんを止められる存在になるため、トーレスおじさんたちに育ててもらった恩を返すため。
「――わかった。にフラれちまったからってわけじゃないけど、オレはダガーを守る。相手が女王様だろうと、関係なしにな。まったく、お前のおかげで目が覚めたぜ」
「はい、応援しているのですー」
「……最後にひとつ頼みを聞いてもらってもいいか?」
「何でしょうか」
神妙な面持ちのジタンに、わたしは首を傾げた。
「とキスがしたいんだ」
「……え?」
ジタンに身体を引き寄せられて、ぐっと距離が縮まる。頭が上手く回らないのは、ジタンの突拍子もない言葉のせいだ。 ジタンが、わたしとキスがしたい? キスって、あのキス!?
「子供の頃の約束は果たせないけれど、オレたちは両想いだったっていう証が、思い出が欲しいんだ。だからせめて、今だけはオレのものになってほしい」
うそ……約束、覚えててくれたんだ。もう、忘れられてしまっていたと思ってたのに、ジタンは覚えててくれてたんだ。子供の戯れで、あやふやな約束だったのに。ただ、そのことが嬉しい。
涙が溢れて、わたしは俯きながら手の甲で涙を拭う。それを見たジタンが優しく抱きしめてくれた。
「わかりました、今だけはジタンのものです。誰でもない、ジタンだけの……」
顔を上げれば、ジタンの息がかかるくらいに近い距離。
「好きだったぜ、」
「わたしも、ジタンのことが好きでした」
ジタンの手がわたしの頬に触れた。ジタンの顔が段々近づいてくる。わたしとジタンはお互いに目を閉じた。唇に温かくて柔らかい感触に思わず肩を震わせると、ジタンが一瞬唇を離す。お互いに紅潮させた顔を見て、もう一度唇を重ね合わせる。
初めてのキスは、どうしようもなく切なくて、涙の味がした。
執筆:17年7月26日