ダガーさんが喋れなくなってしまった。
 ブラネ女王の死、アレクサンドリア襲撃が重なり、心に深い傷を負ってしまったのだという。再び喋れるようになるには、ダガーさん自らの力で立ち直るしかないとトットさんは診断した。
 ダガーさんに何もしてあげられない歯痒さは、わたし以上にジタンは感じているはずだ。
 ダガーさんがこんな事になってしまった原因はクジャさんにある。だから今は一刻も早くクジャさんを止める事に専念しなくてはならなくて、その為にはシド様を人間に戻し、ヒルダガルデ3号を造らなければ。
 トットさんによれば、三種類の薬を調合すればもしかしたら人間に戻せる可能性があるとの事だった。そこで、ジタンがリンドブルム内を探す事になった。
 そんな中、わたしはダガーさんの休んでいるお部屋を訪ねていた。

「ダガーさん、よろしいでしょうか?」

 ノックを二回した後、少しだけ扉を開けて覗き込むと、ダガーさんがこくりと頷いたのを確認して入室する。予想していたことではあるものの、やはりダガーさんの表情は暗かった。部屋に入った瞬間に空気が重くなったような気がして、わたしも暗くなってしまいそうだった。だけど、わたしはダガーさんに元気になってもらうためにここに来たのであって、一緒に暗くなるためにここに来たのではない。
 ぐっと握りこぶしを作り、気合いを入れる。

「少し、お話しませんか? 溜め込んでいるより、思っていることをお話しした方が気が晴れると思うのですよ。ええと、その日にあった愚痴などを日記に書くと少しスッキリするアレなのですよ!」

 断られてしまうだろうか?
 不安に思いながらダガーさんの反応を待つ。ダガーさんは何度か目を瞬かせた後、ふわりと微笑んでくれた。微笑んでくれたけど、無理をしているような印象を受ける。

「じゃーん! ダガーさんは声が出ないので、ノートとペンを持ってきたのですー!」

 わたしがノートとペンを渡すと、ダガーさんは早速ノートを開いてペンを握った。文字を書いて、私に見せてくれる。

『ありがとう』

 きれいな字でそう書かれていた。半ば無理矢理押し付けてしまった感はあるけれど、こういう時は一人で塞ぎこんでいるよりも誰かと一緒に話をした方が気が紛れる、はず。それに、わたし自身ダガーさんとお話がしたかった気持ちもある。

「ふふ、ダガーさんとはゆっくりお話しする機会がありませんでしたからね」

『ずっとバタバタしていたものね』

 思い返せば、ダガーさんと初めて顔を合わせたのはアレクサンドリア城でダガーさんを助けた時。そこからゆっくり話す時間はなかった。一時はジタンを取られてしまうのが嫌で嫉妬をしてしまったけれど……ダガーさんは本当に良い人だから、今は力になれたたらいいなぁ。

「……アレクサンドリアのこと、大変でしたよね。わたしは王族とは縁遠いので想像するしかできないのですが、女王になるのはきっとものすごい重圧だと思います。わたしとそんなに歳も変わらないのに、ダガーさんは本当にすごいのです」

わたしの言葉を聞いたダガーさんが、首を横に振る。そしてペンを走らせた。

『わたしが女王になることで、お母さまががしてしまったことの責任を取りたかったの。だけど、わたしはアレクサンドリアを守ることができなかった』

 ダガーさんが女王になろうと決意した理由がようやくわかった。
 好きな人と一緒にいたいからという理由で自らの責務を投げ出したわたしとは違う。ダガーさんは、きちんと責任を果たそうとしているのだ。それが、大好きな人と離れることになってしまったとしても。
 ――こんな立派なお姫様と、自分勝手な子犬では、やはり最初から勝ち目なんてなかったのだ。

「……やっぱり、ダガーさんはすごいのです」

「――――」

 ダガーさんが心配そうな目でわたしを見つめる。それに気づいたわたしは慌てて笑顔を作った。

「あの、その、結果的には守れなかったかもしれませんが、全部クジャさんが悪いのです! ダガーさんが悪いわけではないのですよ! ダガーさんはダガーさんなりに頑張っていらっしゃること、みんな知っているのですー! だから、クジャさんをふん捕まえて、コテンパンにのしてしまいましょう!」

 必死にクジャさんに責任があることを伝えると、ダガーさんが小さく笑った。今度は無理のない笑顔で。

「ダガーさん、やっぱり笑っていた方が素敵なのですよ!」

 少しでもダガーさんが楽しんでくれた――それが嬉しいわたしは思わずダガーさんの手を取って上下に揺らす。しばらくして、ダガーさんがペンを取り、

『ベアトリクスから聞いたのだけど、はクジャに狙われていると聞いたわ。クジャとどんな関係なのか聞いてもいい?』

 ノートにそう書いた。
 クジャさんとの関係は、ダガーさんにも伝えるつもりでいた。だけど、今のダガーさんに全てを話すわけにはいかない。

「……わたし、リンドブルムで合成屋をしていた傍らで機械の製造も請け負っていたのです。クジャさんとはそこで出会いました。何も知らなかったわたしは、黒魔道士の製造機の一部を作ってしまったのです」

 申し訳ないと思いながらも、婚約者であるということを隠してわたしとクジャさんの関係を語らせてもらう。

「クジャさんは、まだわたしを利用したいのでしょうね。わたしの作る兵器たちは、使い方によっては戦争の道具になります」

 話を聞いていたダガーさんの表情が、だんだん暗くなっていく。これ以上は、ダガーさんを悪戯に不安にさせてしまうだけだ。先程折角笑ってくれたのに、また暗くさせてしまうわけにはいかない。

『話してくれてありがとう。だけど、がクジャを止めに行くのは危険なんじゃないかしら?』

 確かに、ダガーさんの言う通りかもしれない。でも、狙われているからと言って逃げるわけにはいかない。戦争で人々を殺してきた黒魔道士を製造する機械を作ったのは、わたしなのだから。

「危険でも、わたしはクジャさんを止めたいです。知らなかったとはいえ、わたしにも責任があります。人任せにはできないのです」

は強いのね』

「それはダガーさんも同じではないですか。でも、お母上の責任を負って女王になろうだなんて……わたしだったらきっと、ジタンと会えなくなるのが嫌で逃げ出しちゃいますよ」

「――――」

 わたしが苦笑すると、ダガーさんが何かを言いたげに口を開いた。しかし、そのまま口を閉じて俯いてしまう。
 違う、わたしはダガーさんを元気にしたくてここに来たのに、こんな話をしてたらダメだ。明るい話をしよう。

「ダガーさん! このリンドブルムも襲われましたが、生き残った人たちが全力で復興しています。まだ以前のようにはいきませんが、確実に治ってきています。アレクサンドリアだって同じです。生き残った人々が希望を持てば、アレクサンドリアだって蘇るのですよ! そして、ダガーさんは人々の希望にならなきゃなのです!」

「…………」

「今はゆっくり休んで、元気になったらアレクサンドリアの人たちにそのお姿を見せてあげてください。みんな、きっと喜ぶのですよー」

 ダガーさんが女王様になったら、アレクサンドリアはきっと素敵な国になる。完全に復興するまでに時間はかかるかもしれない。それでも、いつかは――。

「ダガー、ちょっといいかい?」

 扉がノックされ、ジタンの声が聞こえてきた。わたしが扉を開くと、ジタンが驚いた顔をした。

「なんだ、ここにいたのか! を探してたんだ!」

「ジタン、どうかしたのですか?」

 どうやらジタンが用があるのはダガーさんではなくわたしらしい。ジタンは部屋に入ってダガーさんに手を振ると、ダガーさんも手を振り返した。

「あと一つ薬が見つからないんだ。もリンドブルムに詳しいし、手伝ってほしいんだ」

「わたしは構わないのですが……」

 ダガーさんは一瞬寂しそうな顔をした後、笑顔を作って頷いた。それを見て、胸が締め付けられる。
 本当に、わたしは手伝っていいのだろうか。ダガーさんにも手伝ってもらうように言うべきなのだろうか。
 そう考えていると、ジタンがダガーさんに向かって申し訳なさそうに手を合わせた。

「女の子同士で盛り上がってるところ悪いね、ダガー。を少し借りていくぜ」

 ジタンに手を引かれるも、わたしはダガーさんが慌ててノートに文字を書いているのを見て足を止める。

「待って、ジタン。ダガーさんが何か伝えたいみたいなのですー!」

 書き終えたダガーさんが小走りをしてわたしにノートを見せに来てくれた。

『喋れるようになったら、もっといっぱいお話がしたい』

 ノートに走り書きされたその言葉に、胸がいっぱいになる。ノートからダガーさんに視線を移せば、ダガーさんが嬉しそうに笑ってくれる。

「わたしも、ダガーさんとお話ししたいです。また、声が聞きたいです」

『全部終わって、アレクサンドリアが復興したらお城でお茶会をしましょう』

「女王様とお茶会だなんて! い、いいのでしょうか!?」

は大切なお友達だもの』

「ダガーさん……わたし、すごく嬉しいのですー!」

 ダガーさんに抱きつくと、ダガーさんはわたしを優しく受け止めてくれる。そんなわたしたちのやりとりを見ていたジタンが羨ましそうに目を細めていた。

「なぁ、。そこ代わってくれないかい?」

「お断りなのですー」

 ジタンに舌を出すと、ダガーさんは声を出さずに肩を揺らしながら笑ってくれた。



※ ※ ※ ※ ※



 薬を探すために城を出て商業区にやってきたわたしとジタン。薬を探さなくてはならないはずなのに、ジタンはその素振りを見せない。

「えっと……リンドブルムに詳しいジタンとわたしの二人が薬を探しに行くのはいいのですが、ここは手分けして探した方が効率がいいのでは」

 城を出てからずっと離れる気配のないジタンに提案すると、ジタンがニカッと歯を見せて笑う。

「薬探しを手伝ってほしいっていうのは、を連れ出す為の口実さ。本当は薬がありそうな所は分かってるんだ」

 わたしは立ち止まり、ジタンを凝視する。
 薬のありかがわかっているのなら、わたしは何故連れ出されたのか。わたしたちが部屋を出るとき、ダガーさんが寂しそうな顔をしたのはきっとわたしとジタンが二人きりになるからだ。ジタンは、それに気づいていないのだろうか?

「どうして」

 発する言葉に冷たさが混じってしまう。ジタンは敏感にそれを感じ取ったのか、少し戸惑った様子だ。

「――騙したのは悪かった。でも、どうしてもにお礼が言いたかったんだ」

「お礼……なのです?」

 何に対してのお礼なのか分からず、首を傾げる。
 アレクサンドリアが攻めてきた時に壊されてしまったという教会を見つめながら、ジタンが頭の後ろで手を組んだ。

「ブランクから聞いたぜ。ほとんど寝ずに看病してくれただけじゃなくて、アレクサンドリアでオレを見つけて運んでもくれたってさ。ありがとう、。お前には助けられてばっかだよな」

 どうやらブランクは全てを話してしまったらしい。寝ずに看病は……したけれど、ジタンに言ってしまうなんて。わたしが今でもジタンのことを好きで好きで仕方がないのがバレバレではないか。

「そ、それは……たまたま通りがかったらジタンが倒れてただけですし、看病したのも、わたしはリンドブルム城の勝手もわかっていましたし、ダガーさんも元気がなく疲れ切ったご様子でしたし、あの場でわたしが一番適任だと判断したので……その……」

 偶然だった、仕方がない状況だった。そう説明しようとしても、ジタンの顔を見たら誤魔化し切れないと思った。もう、白状するしかない。

「いいえ、本当はそうじゃないのです。ジタンはわたしにとって大切な人……どうしてもお助けしたかったのですよ。他の誰でもない、わたしが」

 わたしにはクジャさんがいて、ジタンにはダガーさんがいる。だからわたしはジタンのことは吹っ切らなきゃいけない。そのはずなのに、まだジタンのことが好き。
 ジタンはきっとこんなわたしに呆れてしまう――。

「……オレにとっても、は大切な人なんだ。のことを守りたい」

 罵られることを覚悟していたのに、それどころか大切と言ってくれた……?
 ジタンは嬉しそうにわたしの頭を撫でてくれた。わたしは思いがけないことに目を丸くする。

「だからさ」

 突然リボンタイを外し始めたジタンを不思議に思いながら、そのまま彼の行動を見守る。

「ジタン?」

 ジタンは外したリボンタイをわたしの首に巻き付け、器用にリボンを結んだ。それはまるで首輪のような。

「こうやって、首にリボンを巻いて……、と。可愛い子犬にはぴったりだろ? はすぐにどこかに行っちまうからな」

 わたしにつけられた首輪もといチョーカーになったリボンタイを見て、ジタンは満足気に笑った。

「ん。反論できないのが悔しいのです……!」

 合成屋になるためにタンタラスのアジトに行かなくなったり、飛空艇技師になるためにリンドブルム城に住み込みになったり、挙句にはジタンたちを守るために自爆したり――身に覚えがありすぎた。
 全部、ジタンと釣り合うようになりたくて、ジタンを守りたくてのことだけど……やっぱりずっとジタンの傍にいることが正しかったのかな。そしたら、クジャさんに目を付けられることもなかったのかな。ジタンがダガーさんに惹かれてしまうこともなかったのかな。
 色々と後悔していると、ふとリボンタイのなくなったジタンの首元に違和感を覚える。

「リボンがないと少し寂しいですね。何か代わりになるものを……」

 何か、アクセサリー的なものを持っていたような気がして、道具袋を漁る。そこから唯一出てきたアクセサリーを見て、わたしは頷いた。そして、それをジタンに手渡す。

「ジタン、これを」

 わたしから受け取ったアクセサリーを見て、ジタンは目を丸くした。

「これって確か……」

 ジタンはわたしが渡したアクセサリーを覚えていてくれたようだ。そのアクセサリーは思い入れのあるものだった。

「はい、わたしが初めて合成したアクセサリーなのですよー。昔からずっとお守り代わりにしていましたが、ジタンに差し上げますー」

 大切なものではあったけれど、ジタンに着けてもらえるなら。それに、わたしもジタンに首輪を頂いてしまったのだから。
 ジタンは一瞬躊躇ったものの、それを強く握りしめた。

「じゃあ、リボンの代わりに着けさせてもらうぜ。のお守り、大切にするよ」

「ふふっ、とてもお似合いなのですー」

 リボンタイの代わりに下げたアクセサリーがジタンの首元で揺れる。
 わたしの首には、ジタンのリボン。ずっとジタンが身に着けていたものをわたしが身に着けるという事が嬉しくて、恥ずかしくて、思わずにやけてしまいそうになるのを必死に抑えた。

「なぁ、がキングに嫁ごうが、オレたちの絆はこれからも変わらない。がピンチになったら、絶対に駆けつけるからな」

 ジタンがわたしの手を握る。突然の事に驚き、ジタンの顔を見るとその表情は真剣なものだった。だから、わたしもジタンの手をぎゅっと握り返す。

「わたしは、何があってもジタンの味方です。これからも出来る限り、ジタンを支えていきます」

 崩れた教会の前で、ジタンとわたしは誓い合った。



執筆:17年12月1日