あやつりの輪の効力が切れたのか、わたしは身体の自由を取り戻した。とはいえ意識がぼんやりとしていて、頭痛もする。ジタンの目の前でクジャさんにキスされた後、わたしは現実から目を背けるように意識を手放した。それからのことはわからないが、今わたしは飛空艇の一室のベッドにいた。クジャさんに連れられてここにいるのだとしたら、この飛空艇は恐らくヒルダガルデ1号だろう。
痛む頭に手を当てながら立ち上がろうとすると、声をかけられた。
「、気づいたのですか」
見れば、そこにはヒルダ様の姿があった。やはりヒルダガルデ1号と一緒にクジャさんに捕まっていたのだ。
「ヒルダ様! ご無事だったのですね! それと――」
ヒルダ様の膝枕で眠っているエーコちゃん。どうしてエーコちゃんがここにいるのかわからなくて、わたしは目を丸くすることしかできなかった。
「この子もクジャに捕まってしまったのですよ。クジャは召喚獣を抽出する為にグルグ火山へ向かうのだと自慢気に語っていましたが」
何のことかわからないが、よからぬことに利用されることは想像に容易だったらしいヒルダ様の表情は険しい。
召喚獣の抽出といえば、以前アレクサンドリア城でダガーさんがされていたことだと記憶している。抽出されてしまった後のダガーさんを思うと、幼いエーコちゃんが召喚獣を抽出されてしまったらどうなってしまうのか。
「それは……阻止しなくては、なのですよ」
立ち上がると、視界が揺れて身体がよろめいた。
「、フラフラではありませんか! どうか無理はしないで」
「……はい」
わたしが止めたところで、きっとクジャさんは聞いてくれないだろう。それでも、エーコちゃんを助ける為ならば無駄と分かっていても止めなくてはならない。
酷い頭痛に苛まれながらも自分の身体に鞭を打ち、飛空艇にあるクジャさんの部屋と思しき場所に乗り込んだ。
※ ※ ※ ※ ※
「おや、誰かと思えばじゃないか。へぇ……所詮オークションで手に入れた品だね。あやつりの輪といっても数時間が限界か」
部屋に入ると、クジャさんがすぐにわたしに気づいた。
「エーコちゃんに、ひどいこと……しないで」
「フラフラじゃないか」
クジャさんはわたしの言葉に一瞬眉間に皺を寄せるも、揺れるわたしの身体を支えてくれた。抱きしめられる形になり、わたしは目を細める。
「クジャさん……」
「どうしてだろうね」
「え……?」
「僕と会うとき、キミはいつも傷ついている」
そう言われてみれば、そうかもしれない。けど、その根源はクジャさんなのでは……。だけど、わたしは都度クジャさんに助けられているのも事実。
「クジャさんはそんなわたしを助けてくれるじゃないですか。だからわたしは諦められないのです。クジャさんは本当はいい人――んっ」
言い終えることなく、わたしの口はクジャさんの唇によって簡単に塞がれた。慌ててクジャさんの胸を押して離れようとするも、クジャさんはわたしの腰に手を回して離そうとしない。
「や……」
「ふふっ。嫌がるキミにこんなことをしてしまうのに、それでもいい人だと?」
確かに今わたしはクジャさんを拒んでしまった。それはわたしがクジャさんを恋愛対象として見ていないからだ。でも、それならクジャさんはどうなのだろう? 好きでもない女性に躊躇いもなくこのような行為ができるのだろうか。
ジタンの前でキスされたのは、ジタンに見せつけるという目的があった。だけど、今のキスは?
「……クジャさんは、もしかしてわたしのことが好きなのです?」
豆鉄砲を喰らったような顔をするクジャさん。そして一瞬だけ戸惑いを見せるもすぐに首を横に振った。
「言っただろう、キミはただの道具に過ぎない」
ただの道具に、こんなに優しいキスをするだろうか? わたしを好きになってくれたという可能性があるのなら――
「もう、全部捨ててしまいませんか?」
「何を――」
「そしたら、わたしもジタンの事は忘れてクジャさんのことだけを愛すのです……その、如何でしょうか?」
?
わたしはクジャさんに手を差し伸べた。クジャさんが手を取ってくれるのなら、その手を離さない。クジャさんを繋ぎ止めたい。
「わたしが、クジャさんを幸せにしますから! だから、世界とか復讐とかじゃなくてわたしを選んでください!」
しばらくの沈黙の後、クジャさんが嘲笑した。わたしの手を軽く払い、高笑いをする。
「僕がキミを選ぶわけがないじゃないか。自意識過剰なんじゃないかい?」
――自意識過剰。その通りだった。わたしなんかがクジャさんに選ばれるわけない。だけど納得いかない。自意識過剰の塊であるクジャさんに言われるのは釈然としない。
「む。クジャさんだけには言われたくないのですー!」
頬を膨らませながらクジャさんを睨むと、クジャさんは可笑しそうに笑う。
「キミは僕を止めようと必死だけど、何をしたって僕が手を止めることはない。無駄なのさ。それにまだ理解できていないようだね。キミはもう僕のものさ。選ぶも何も、僕の所有物だ」
もう、何を言っても無駄らしい。手を取ってもらえないのなら、わたしはクジャさんのものにはなれない。おとなしく言うこときくなんてできない。
だからわたしは武器を構える。幸い頭痛は治まってきたのでなんとか戦えそうだ。
「……わかりました。では、力づくで止めるのです」
「いい加減諦めておとなしく僕の言うことを聞いた方がいいと思うけどね。あやつりの輪が使えなくなった所で、キミを動かすためのまだ切り札は残っているんだよ。さぁ、感動のご対面だ」
クジャさんがパチンと指を鳴らしたのを合図に黒魔道士二人が現れた。その腕に抱えられていたのは――
「トーレスおじさん! ウェイン兄さん!」
拘束され、意識のない二人が返事をすることはなかった。
「こいつらは僕とキミの婚約を解消してくれって懇願しにトレノまでやって来たんだ。自ら捕まりに来てくれたお陰でリンドブルムまで迎えに行く手間が省けたよ」
「そんな……人質を取るなんて卑怯なのです!」
わたしだけをクジャさんの部屋に転送させる罠、あやつりの輪、人質。クジャさんは用意周到だ。言うことを聞かせる為常にわたしの数歩先を行く策士。最初からわたしはクジャさんに敵いっこなかったんだと痛感させられる。
「さぁ、。僕に兵器を差し出し、この飛空艇のメンテナンスを担ってくれるかな?」
兵器を差し出せば、クジャさんはそれを悪用するのだろう。わたしの兵器で人が殺されてしまう……そんなの、耐えられない。
「……お断りします。もう、あなたの悪事に手を貸すつもりはないです」
「おや? 養父と義兄がどうなってもいいのかな?」
「――わかり、ました」
逆らえっこない。
唇を噛みしめながらクジャさんを睨み付けるも、クジャさんは楽しそうに笑った。武器を床に落とし、目を閉じる。
「いい子だね」
わたしが逆らえないのをいい事に、クジャさんがわたしの髪に指を絡めてキスを落とした。
結局、わたしはクジャさんを止めることはできず、挙句に協力してしまい、エーコちゃんも守れず、ジタンを傷つけた――こんな事なら最初からおとなしく黒魔道士のむらで待っていた方が良かったのかもしれない。余計なことをしてしまったんだ。
悔しくて大粒の涙が床を濡らす。わたしは自分が思っていた以上に無力だ。
「……?」
泣いているわたしに気づいたクジャさんが目を瞬かせる。ついには嗚咽を漏らして泣き出すわたしはとことん無様だ。
クジャさんの手がわたしに向かって伸びてきた。頬に触れられ、顔を近づけられる。
――キス、される。
そう察したわたしは咄嗟にクジャさんを突き飛ばすように胸を押した。
「クジャさんなんて……嫌いなのですー!」
「好かれたいとは思わないよ。僕はキミを利用しているだけなんだ……ただ、それだけなんだ」
気のせいかもしれない。だけど、それはまるで自分に言い聞かせるように聞こえた。
執筆:20年12月9日