19:「さようなら」



『いよいよ、我が物になる時が来た』

 バリル……!?
 ふん。残念ながら、あなたは明日私たちにやられるわ。首を洗って覚悟してなよ。

『ククク、それはどうだろうな。真実を知らぬは、愚かなことだな』

 な、何よ……!

 そこで私は目を覚ます。汗で、背中がぐっしょりしていた。少し、頭を冷やそう。
 私はベッドから飛び降り、反射的に隣で眠っていたファラを見ると、すやすやと眠っていた。しかし、メルディのベッドに彼女の姿は無い。
 外に出ているのだろうか?
 私は忍び足で廊下に出て、辺りを見回す。すると、リッドの姿を確認した。
 リッドが屋上に入っていくのが見えて、なんとなく後をつけてしまう。私も静かに屋上の前まで移動をすると、話し声が聞こえてきた。

「リッド?」

「メルディ……? 眠れないのか?」

「うん。リッドはどうしたか?」

 どうやらメルディも屋上にいて外の風にあたっていたらしい。盗み聞きになってしまうことは承知だけど、眠れない私も部屋に戻るつもりはない。私は二人に気づかれないようにドアの前にそっと腰を下ろした。

「オレは――死んだ父さんの夢を見ちまってな」

「リッドはおトーサン、いないか?」

「あぁ。母さんもいない」

「ファラが一緒だ」

「そういうことになるな」

 ドアごしに二人の会話を聞いていた私はそっと膝を抱いた。
 そっか、リッドとファラは両親がいないんだ。ラシュアンの村で、一人で暮らしてたのは両親と死別してたからなんだ。なんか、悪いこと聞いちゃったかな。

「リッドには、おトーサンとおカーサンの思い出、あるか?」

「……そうだな、狩りの仕方を教わったりした思い出は今でも鮮明に覚えてる。メルディは、親の思い出はあるのか?」

「メルディも思い出、あるよ。……なぁ、リッド。思い出は、悪いことが起きても消えないか? ちゃんとメルディの中にずっとあるか?」

「忘れたくなければ、きっと消えねーよ」

 ――思い出は忘れたくなければ、消えない。リッドも、私が元の世界に戻ってしまったら、私の事を覚えててくれるのだろうか。
 もう、戻ろう。これ以上二人の話を聞いたら悪い気がするし、朝、寝坊したら大変だ。
 私は立ち上がり、その場を後にした。



※ ※ ※ ※ ※



「眠い。バリル城行く前にくたばっちゃう」

 決戦前だというのに夜更かしをしていた私は当然眠くて、バンエルティア号の一室の片隅でだらしなく唸っていた。
 あの後、またバリルが夢を介して私に接触するのが怖くて、結局眠ることができなかった。一体、何だろう。あの余裕は。
 隣でメルディが「大丈夫か?」と心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「ちゃんと寝なかったのか?」

 キールがため息混じりに言って、私の前に立つ。そして私の頬を引っ張った。

「いひぇひぇひぇ! いひぇーひょひーひゅ!」

「目は冴えたか?」

キールは私の頬を離すと、微かに笑って見せた。

「ひ、酷いよ! 私の頬、伸びちゃうじゃん! キールのバカ!」

「バカとは何だ。眠気を吹き飛ばしてやってんだぞ? むしろ感謝してほしいくらいさ」

「それにしても、変な顔だった」と、口元を覆ってくすくす笑うキール。私は地団駄を踏みながら「酷い!」と声を上げた。

「もう、キール、ダメだよ! をいじめたら可哀相でしょ!」

 ファラが私を背に庇ってキールを叱りつけてくれる。するとキールはすっかり縮こまってしまう。そんないつものやり取りが、なんだか緊張と眠気を和らげてくれるような気がした。

「ち、違うんだ。僕はただ本当にに元気を出してほしくて」

「それは、リッドの役目よ」

 ファラの言葉に私は目を丸くした。それはメルディにもしっかり聞こえたようで。

「リッドがどうかしたか?」

「リッドはね、のことが好きなの。も、リッドの事が好き――そうだよね! !」

 突然話を振られて混乱する。リッドが、私を好き? うん、確かにそれはなんとなく伝わってくる気がするし、私もリッドのことが好きだ。しかし、何故ファラは今ここでそれを? リッド本人が今ここにいないのは幸いだけど……

「大丈夫。キールもわたしも二人が両想いだって気づいてたんだから。応援するよ! 告白はもうされた? それともした? 昨日折角二人きりにしてあげたんだから、何かあってもおかしくないよね!?」

 捲し立てるように話を進めるファラは「もうわたしはリッドのことなんて好きじゃないんだからね!」と言いたげだった。その気遣いで逆に未練を感じてしまう。

「ファラ……ごめんね」

 私がリッドを取ってしまう事に対してか、気を回してくれたにも関わらず何も進展がなかった事に対してなのか。二つの意味を込めての謝罪だった。ファラはどのように受け止めてくれたのだろうか。
 ファラは暫く私の顔を凝視し、そして苦笑いを浮かべた。

「何もなかったの?」

「うん、実は告白しようと思ったんだけど――この戦いが終わってからにしようと思ったの」

 私の言葉に、ファラとキールが顔を見合わせて大きなため息をついた。メルディも私を見て苦笑いを浮かべる。

「じゃあ、バリルを倒して二人を幸せにしなきゃだね!」

 「打倒バリルだよ!」とファラが窓の外に見えるバリル城目がけて拳を入れる。
 私の幸せを願ってくれるファラは本当に優しい。私は、リッドがファラを選んでいたらこんな風に二人の幸せを願えただろうか。きっと、すごく落ち込んでしまって自分の事しか考えられなかったと思う。

「心配することないさ。どうせリッドはのことが好きだ。あいつのに対する態度程分かりやすいものはないさ」

「メルディな、リッドとはとてもかなりお似合いと思うな!」

 ファラだけでなく、キールとメルディの激励に、思わず顔が赤くなってしまう。
 みんなして、私の気持ちを知っちゃってるし、更にはリッドと私をくっつけようとするし……嬉しいけれど、すごく恥ずかしい。

「はぁ……ちょっと、風に当たってくる」

 そうみんなに断り、部屋を出て、甲板に向かった。
 甲板に出ると、セレスティアのジメッとした潮風を感じる。
 もうすぐ、バリル城だ。バリルを倒せば、全てが終わる。長かったようで短かったこの旅も、もう終わるんだなって考えたら、悲しかった。
 正直、リッドと離れたくない。ずっとこの世界にいたい。折角ファラたちからエールを貰ったのに――

! ここにいたのか!」

「リッド!」

 リッドが私に駆け寄る。潮風に靡くダークレッドの綺麗な髪。私はリッドを見つめて目を伏せた。正直、今はリッドを見ているだけでも胸が締め付けられるように辛い。そして、先程のファラたちとのやり取りの事もあって、恥ずかしさも入り混じる。

「もうすぐだな」

「うん、そだね……」

 バリルを倒したら、私たちはお別れかもしれないんだよ。
 そんなこと、絶対に言えなかった。そのことを知ったら、リッドは何て思うだろうか。

「ねぇ、リッド。例えば、の話なんだけれどね? 世界を救ったら私が消える。私を選べば、世界は滅ぶ。そしたら――世界と私、どっちをとる?」

 まるで、デスティニー2のカイルとリアラだね。リアラも、こんな風に、悩んだんだろうな、きっと。
 私は自嘲して、「やっぱり世界だよね」と呟けば、リッドは首を横に振る。

「どっちも救う方法を考える」

 ニカッを笑い、リッドは真正面に聳え立つバリル城を見上げた。

「そっか。でもさ、世の中にはどうにもならないことがあるじゃない?」

 私はリッドに背を向ける。リッドは怪訝そうに私を見つめた。
 そう、カイルとリアラも、離れ離れになると分かっていても世界を救った。リアラのように再び出会える奇跡があればいいのに。

「何を言って――」
「おーい! 二人とも! もうすぐバリル城だよ! 戦闘の準備をしておいて!」

 甲板の扉の向こうからファラの声が響いた。気づけば、バリル城はもうすぐ目の前。

「行こう、リッド」

「あ……ああ」

 いよいよバリル城に突入するんだ。ここで負けたら意味が無い、絶対に負けられない。



※ ※ ※ ※ ※



 晶霊砲でバリル城の周りに張られている極光術の壁を打ち壊し、私たちはバリル城へと侵入する。フォッグたちシルエシカ軍は、城にいるモンスターを蹴散らすことを申し出てくれた。お陰で私たちはバリルの元へ向かう事に専念できる。
 私たちは一刻も早くバリルを倒すためにフォッグたちに甘えさせてもらうことにした。
 ――そして、城の最上階へと一気に進む。

「この扉の奥に、バリルがいるんだな!!」

 張り詰めた空気の中、リッドが静かに呟いた。そして、私、ファラ、キール、メルディを順番に見回し、全員の顔を確認をする。

「行くぜ、みんな!」

 リッドが叫び、扉を破壊する勢いでこじ開けた。重たい音を立てながら開いた扉の奥の玉座に、人影が見える。近づくにつれ、それが死体だということが理解できた。
 この死体が、バリルなのだろうか?

「こいつが……バリルか? 死んでるじゃねぇか」

「じゃあ、誰ががグランドフォールを起こしているんだ……?」

 リッドとキールの問いには誰も何も言わなかった。否、答えることができなかった。
 ――そのはずだった。

「バリルが死んだのは10年前だ」

 玉座の後ろから低い声が響いた。女性だ。
 声の主はゆっくりとドレスの裾を引きずり、玉座の後ろから怪しい雰囲気を漂わせながら姿を現した。

「シ……ゼル……!」

 メルディが目を見開きながら女性を凝視し、確かに「シゼル」と口にした。それが人の名前なのだとしたら、メルディとこの女性の関係は一体……。

「久しいな、メルディ」

 シゼルと呼ばれた女性は怪しくメルディに微笑みかける。

「知り合いなの?」

 ファラが不思議そうにメルディを見た。

「シゼルは……バリルがツレアイ」

「バリルとは夫婦関係と言うことか!」

 キールが眉間に皺を寄せた。私たちは身を構えてシゼルの動きを注視した。
 彼女がバリルの奥さんという事は、私達の敵である可能性が高い。

「お前なのか!? グランドフォールを起こしてるのは!」

 リッドの問い掛けに、シゼルは不敵に微笑む。

「無論だ。私以外に誰ができよう。物質を求め、醜い欲望の渦巻く世界など存在する必要はなかろう。バリルは殺されたのだ! 物欲に支配された愚かな者どもに! これは我が夫バリルの遺志だ!」

 シゼルはバリルの亡骸にそっと触れた後、私を見て口の端を上げる。シゼルの眼光に、とりつかれたように目が離せない上に、体まで動かない――

か。ずいぶんと待たされたが、ようやく我が手にする時が来た」

 待たされた……? 我が物に……? それに、この感じは――あの夢で話しかけてきたのは、バリルではなくシゼルだったの? だけど、あの声はシゼルの声ではなかった。だったら、誰なの?
 シゼルが動けない私に近づいてくる。手が伸びたその瞬間、リッドが背に私を庇い、剣を構えた。

はお前のもんじゃねぇ!」

「リッド!」

 シゼルの眉間に皺が寄り、口の両端が吊り上る。
 ――嫌な予感がした。
 私はなんとか体を動かしてリッドを押し倒す。

「わっ!?」

 今さっきまでリッドがいたところに、鋭いナイフのようなものが勢いよく流れ込んできた。それは床に突き刺さり、床は悲惨なことになっていた。

……悪い!」

「…………」

 恐怖が私を支配する。こんなのに、勝てるわけ……ない。それに私は極光の使い方を知らない。使いようが無い。ゲームとか漫画みたいに、ピンチになったら使えるって心の中で過信していた。何も、起きない。
 念じてみてもダメ、体に力を入れてもダメ。一体、どうすれば……! そもそも、極光が何なのかがわからない!

「リッド! !」

 ファラたちが駆け寄ってくれる。私はメルディに起こされて立ち上がった。
 しかし、シゼルは一瞬にして晶霊術を私たちに放つ。私は掠っただけだったが、リッドたちはかなりの傷を受けてしまった。

「みんなっ!!」

 ファラ、メルディ、キールは気絶してしまったらしい。息も絶え絶えなリッドが私の隣で呻き声を上げる。
 涙が出てくる。どうしたらいいの? このままじゃ、みんなが、リッドが死んじゃう。私、大切な人を――リッドを守れない。異世界に来て、レムに力を貰って、光と闇の極光を持ってるって言われて、何でもできるって思ってた。だけど、現実はこんなにも残酷で――
 シゼルはまるで人間の皮をかぶった化け物のように冷たく笑った。リッドが、傷だらけの体で立ち上がろうとする。

「り、リッド! やめて……傷が……!」

 私は倒れかけたリッドを支える。しかし、リッドはその状態で苦しそうに息をしながら呟いた。

……お前だけでも逃げろ! 奴はお前を狙ってる!」

 リッドの言葉に、シゼルが顔を歪める。シゼルと目が合ってしまったその時、何かが私の頭に流れ込んできた。

 シゼルが、バリルを殺されて嘆いている姿。そこに、黒い霧が現れてシゼルを覆って――

 彼女は操られている。操っている者の名は――破壊神ネレイド。闇の極光が使えるシゼルはネレイドによって意識を乗っ取られたのだ。
 だから、闇の極光も持っている私も、シゼルのように操られてしまうのかもしれない。私が、リッド達を殺してしまうのかもしれない。
 そんなの、絶対に嫌だ!

「――ネレイド。私はそっちに行くから、だからリッドを……リッドたちを殺さないで」

 足が震える。体全体が震える。
 ――怖い。怖い。怖い!
 私はリッドをゆっくりと座らせると、ゆっくりとネレイドの方へと歩き出した。リッドは力を振り絞って私の服の裾を掴んだ。

「行、くな……逃げ、ろって……」

「リッド……っ」

 私だって、本当は行きたくない。ずっとあなたと離れたくない。だけど、そうしなきゃ、あなたは死んでしまうから。あいつの言うとおりにしなかったら、今ここで皆が死んじゃうから。
 ネレイドに加担はしたくない。だけど、大好きなリッドには少しでも長く生き長らえて欲しいから。機会を窺って、ネレイドを倒して欲しいから。

 私は……リッド、あなたを愛しています。

「ごめんね、リッド。本当は約束は果たせそうに無かったの。私のこと、軽蔑していいよ?だって、私はこの世界の人間じゃないんだもん」

 自嘲して、リッドの顔を見る。私の言ったことが理解できずにいる様子だ。
 これから私はネレイドに何をされるのかはわからない。シゼルの意識を乗っ取られたりするかもしれないし、殺されるのかもしれないし。
 私がこの世界の脅威になってしまった、その時は――

「リッド、私が敵としてあなたの前に現れたら……あなたの手で私を殺してね」

 私は自分のクレーメルケイジをリッドに手渡した。
 レムとノームまでネレイドの手に渡すわけにはいかない。二人は――特にレムはすごく怒るかもしれないけれど。今にも出てきそうな勢いだけど。
 レム、私よりもリッドをお願い。だって、エターニアの主人公はリッドなんだもの。本来はね、私なんかがいなくてもリッドは立派に世界を救うはずだったんだよ。
 そう強く念じながら、リッドから離れる。

「さようなら、リッド」

 そして私は、シゼルの、ネレイドの手を取る。

「だ、だめだ! 戻、れ! ッ!!」

 ネレイドが私の手を引いた瞬間、暗闇が私とネレイドを包んだ。

ーーーーーッ!!!」

 最後に見たのは、血だらけで泣きじゃくるリッドの顔だった。



執筆:03年9月13日
修正:17年6月12日