22:破壊神ネレイド



 この感じ、なんだろう。体の奥からずるずると何かが引き出されているような感じがした。わからない。わからないけれど、途轍もないものだということだけは理解できた。これは引き出してはいけないよう気さえする。でも、私は抵抗することもできず、ただただそれを感じることしかできない。
 “実体”が無いのだ。
 動かす手も、足も、無い。感覚はあるはずなのに、肝心の動かすモノが無い。心だけの存在とでもいうのだろうか。とても、もどかしかった。
 私は一体どうすればいい。

「お前の中の真と闇の極光をフリンジさせ、このエターニアを破壊するのだ」

 私の問いに答えたのは、誰?

「我が力を貸そう」

 その言葉が聞こえた途端、私は闇に覆われた。そして、私の中の何かが分離されたような気がした。元々均等に二つあったものが、ひとつの大きなものになった。だけど、片方だけが増えてバランスが崩れた、そんな感じだ。苦しい。感覚は無いけれど、苦しい。



 先程の声とは別の声がした。その途端、急に苦しみが和らいだ。辺りが明るくなり、光を感じる。うっすらと靄がかかったその先には白いローブに身を包んだ人が立っていた。フードを深く被っていて顔がよく見えないけど、私はこの人を知っている気がする。
 「あなたは……誰?」と問いかけたいのに、口がない。だけど、その声は応えてくれた。

「僕は――セイファートの使者だ。お前の中にある、真の極光の力で思念を送っている」

 セイファートの使者は形を失った“私”を掬い上げ、優しく包み込んむ。気づけば“私”は形を成し、精神と身体がひとつになっていた。

「どうして、セイファートの使者が私を助けてくれるの?」

「お前は以前、リッドと口付けを交わしていただろう。その時に真の極光の使い手であるリッドの力が注入され、均衡であったふたつの極光に力差が生まれた。結果、お前の中の真の極光の力が闇の極光よりわずかに上回った。それにより、セイファートの加護を受け――」

「……よくわからないけど、ありがとう!」

 つまり、何だ。晶霊鉄道でリッドとキスした時に、リッドの力が私の中に流れて、助かったってことでいいんだよね? 私、ここでもリッドに助けられちゃったんだな。
 いや、ちょっと待って。今セイファートの使者は真の極光の使い手って言った? リッドが? 私だけじゃなかったの!?

「リッドが、真の極光の使い手……」

 やっぱり、リッドは主人公だった。特別な力があったんだね。
 私はレムによるチート能力だけで、もうお腹いっぱいだよ。極光云々は、正直よくわからないし、リッドに全部お任せしちゃえばいい。

「……どうやら、ここまでのようだ。目覚めの時間だ」

 セイファートの使者がそう呟いた。彼が邪魔そうな前髪をかき上げた瞬間、私の身体は硬直した。

「リ……オン……?」



※ ※ ※ ※ ※



 目を覚ますと、暗くて寒い場所にいた。
 夢を見ていた。夢の内容はとぎれとぎれだし、霧がかかったように思い出せない。それでも、目を覚ました途端全てがわかった気がした。夢の中で、私はネレイドに意識を乗っ取られそうになった。だけど、誰かが助けてくれたみたいで、意識を乗っ取られることはなかった。私を守ってくれた人は……誰だっけ。それよりも――

「……ここ、すっごい寒いのな!」

 しかし、こうも寒いとホントにまいってしまう。リッドの腕の中が、リッドの体温が、すごく恋しい。
 リッドたち、今頃何してるんだろう? ちゃんと生きてる、よね? 絶対生きてるよね? レムたちもいるし。いや……レム、リッドに変なことしてなければいいんだけど。
 はぁ。やっぱり一人だと寂しい。本当はレムやノームに一緒にいてほしかったけど、ここは敵地だもの。レムたち大晶霊の力がネレイドに悪用されてしまう可能性もあるわけだ。

「さて、どうするか……」

 あたりを見回してみる。が、しかし。私の体が通り抜けることができるほどの隙間のない窓。そして、コンクリートみたいなので作られている頑丈な壁。鍵のかかっている鉄格子。それ以外、何もない。手元には武器も道具も何もない。着の身着のまま牢屋に入れられたようだ。

「ちくしょうー。寒いよー! 寂しいよー!」

 私は力任せに鉄格子を叩く。しかし、室内にその音だけが虚しく響いただけだった。
 せめて毛布がほしい。コタツがほしい。ストーブがほしい。

「無駄だ」

 どこからともなく、その低い声が聞こえた。しばらくして、その声の正体がゆっくりと姿を現した。

「……ネレイド!?」

 シゼルの身体をのっとっているネレイドは、シゼルの顔を歪ませながら私を睨み付ける。

「忌々しいセイファート。どこまでも我の邪魔をする」

 セイファート……? 確か、神様の名前だ。
 もしかして、私の真の極光を介してセイファートが私をネレイドに意識を乗っ取られないようにしてくれているのだろうか。じゃあ、さっきの夢は現実の出来事で、私を守ってくれた人は、セイファート?

「まさか闇の極光よりも真の極光の力の方が上回っていたとはな。セイファートの加護を受け、無理に闇の極光を使わせようとしたところで無駄ならば、もはやお前は用済みだ。だが、お前の力が無くとも我が目的は果たされる」

 そう言いつつも、一瞬だけ寂しげなネレイドの表情が目についた。
 ネレイドはエターニアを滅ぼそうとしている最低な奴のはずのに、不覚にもなんだかとても可愛そうに見えてしまった。
 だ、騙されちゃダメよ私! ネレイドはエターニアを滅ぼそうとしている極悪人じゃない!

「ふん! リッドたちがあなたを倒してグランドフォールを止めるんだもんね!」

 口の端を上げたネレイドが私に歩み寄ってくる。反射的に拳を構えてみせる。こんなことしたってネレイドに勝てるわけでも、ネレイドが怯むわけがないのもわかってる。

「威勢のいいことだ。エターニアが滅ぶ様を、この場所で指をくわえながら見ているがいい」

「見てられっか!!」

 鉄格子を殴りつける。しかし、硬い鉄格子は私の手にダメージを負わせた。痛い。自爆してどうする自分。
 そんなことをしているうちに、ネレイドは私に見向きもせずにそのまま行ってしまった。

「バカーーー!! ここから出せーーーーー!! 私は用済みなんでしょーーー!?」

「うるさい娘だ」

 不意に、牢屋の奥から声がした。

「誰! ……っていうかいつからそこに」

「私はゼクンドゥス。時の流れを司りし大晶霊だ。心地よい気に誘われて今しがたここに来た――なるほど、お前が光の大晶霊の寵愛を受けたという人間か」

 おっ? おっ?大晶霊ってことは、攻撃の晶霊術が使えるってことだよね? 今の私は極光の使い方も分からないし、レムたちもいないから術は使えない。それなら、この大晶霊に頼むしかここから出る方法は無い。レムの寵愛とかいう単語が引っかかったけど、今はそれどころではない。

「私、こんなところで死ぬわけにはいかないの。大切な人達を守りたいの! ゼクンドゥス、お願い! この鉄格子を破壊して!」

 私はゼクンドゥスに必死に哀願した。しかし、ゼクンドゥスは首を横に振る。「どうして!」と大声を上げると、目を伏せた。

「ここはネレイドの心像風景。言わばネレイドの心でできている。ネレイドの心ある限り、破壊することは不可能だ」

 よくわからない。とりあえず、大晶霊の力を持ってしてもこの鉄格子を開けることができないということ? そんな……それじゃ、逃げられない。

「……どうしよう」

 そう思ったときだった。突然地面が揺れ出し立っていられない状態になった。

「何……? 地震!?」

 ネレイドの心像風景であるこの場所は、ネレイドの思いのままに形を変えることができるのだろうか。もしかして、今ネレイドがこの場所の形を変えようとしている?

「まずい。この場所はじきに崩れる」

 ゼクンドゥスが冷静に言った。
 ちょっと待ってよ。ここが崩れるってことは、どういうことよ。

「それって、すっごく危険なんじゃ」

「そうだ。危険だ」

 うおぉぉおおい! 危険ならもっと慌てる様子とか見せてよ! 何でそんなに冷静なんですかねぇ!?
 それよりも、どうにかして脱出しないと死んじゃうって! ネレイドめ、私が利用価値が無いと知ったからどうでもよくなったのね! 酷い!

「どうにかしてよ! あなた、大晶霊なんでしょう!」

「助ける方法はあるが……こっちも危険かもしれぬぞ?」

 ゼクンドゥスは困ったように顔を顰めた。しかし、私はこんなところで死ぬわけにはいかない。せめて最後に、リッドに伝えたいことがあるのだから。ネレイドが私を狙う理由がなくなった今、きっと約束は果たせるのだから。
 リッドたちにまた会いたい。そのためなら――

「死ぬよりマシ!」

「……承知した」

 ゼクンドゥスが私に触れた途端、私とゼクンドゥスは光に包まれた。



※ ※ ※ ※ ※



 目を開けると、そこは全く知らない場所だった。あたりは花で溢れている。どうやらここは花畑のようだ。
 一体何が起きたのか。ゼクンドゥスに助けてもらったと思ったんだけど、そのゼクンドゥスはどこにいったのだろう?

「そんなところで寝ていると風邪をひきますよ」

 不意に、上から声がした。
 視線を向けると、そこには昔の人が着ている感じの高価そうな和服を纏った、私より少し年上らしく見えるお兄さんが私を覗き込んでいた。髪が長い。漆黒だ。雰囲気的にお偉い人なのだろうと思った。

「あ、どうも。あのー、ここはどこですか?」

 私は起き上がると同時に、そのお兄さんに訊ねた。すると、お兄さんは目を丸くした後に苦笑いを浮かべる。

「そうですね……ここは私の家の庭ですよ」

 お兄さんは、私を壊れ物を扱うように丁寧に、優しく立ち上がらせてくれた。
 あれ? なんだかこの人、前に会ったことがあるかな? 私の世界で? それとも、エターニアで?

「前にどこかで会ったことありましたっけ? 私、っていうんですけど」

ですか……残念ながら知りません。今日、初めて会いました。私の名はネレイドと申します。人違い、ではないですか?」

 ネレイド。
 彼は確かにそう言った。聞き間違いではない。
 …って待てよ! ネレイド? 人間!? ネレイドって……神じゃないの? この人普通にただの人間のように見えるのですけど!
 いや、同名の人物の可能性もあるよね?

「ところで……あなたはどこからここに入ってきたのですか? ここは私の家の庭といえど、外界から遮断されていて普通の人間には入ることができないはずです」

「え!?」

「この家は、所謂牢獄です。私は普通の者にはない力を持っている。それ故に私は……隔離されているのですから」

 牢獄。隔離。
 いやはや、何で私はこんなところに来てしまったのだろう。そしてこの人は一体何者なのだろう。その、普通の人に無い力って、何なの? 隔離されているっていうことは、危険ってことなのだろうか?

「えーと、それって、どんな力かお聞きしても差し支えないです?」

 私が訊ねると、ネレイドは目を丸くした。

「知らないのですか? この世界で私を知らないものはいませんよ?」

 知らないもなにも、私はあなたと初対面なんだから知ってるわけないでしょう。
 私は苦笑いをしながら「知らないから聞いてるんですけど」と呟いた。

「……そうですか。私は最も神に近い者と呼ばれています。人間でありながら、神と同等の力を持っているのです。人々はそんな私を恐れ、科学の力を以って私を閉じ込めている」

 そう言ってネレイドは怪しく笑った。
 この笑い方を、私は知っている。操られていたシゼルと、同じ笑い方だった。やっぱり、この人はあの破壊神ネレイド本人で間違いないはず。だけど、ネレイドが人間だってことはここは過去なのだろうか? 思い当たる節はある。私は時の大晶霊であるゼクンドゥスに触れたのだもの。ゼクンドゥスは時間を操って私を過去に飛ばすことだってできるはずだ。

「しかし、あなたはどうやって入ってきたのですか? 見たところ普通の人間。外の人間たちがそんなあなたをここに入れるわけがありません」

「……え」

 明らかに、怪しまれていた。突然詰問された私は焦る。まさか、「未来からやってきたんです」なんて言える訳も無い。きっと、殺されるかもしれないし。

「えと……私、は……そう! 思い出した! ネレイドに会ってみたくて、不法侵入したの! だって、ネレイドってすごいじゃない! 神の力があるならなんだって願いとか叶えられるんじゃない?」

「私のこと、知らなかったのではなかったのですか?」

 ズバっと痛いところを突かれる。しかし、こんなことで怯む私ではない。

「いや、ちょっとここに来た時に頭打って忘れてただけ……」

「そうですか」と、私を疑うことも無くネレイドは話を続けた。ちょろいネ!

「――は私に何か叶えてもらいたいことがあるのですか?」

 ずっと無表情だったネレイドが優しく微笑む。
 へぇ、ネレイドって、こんな顔もできるんだ。ふと、そう思った。
 私が叶えてほしい願い。それはエターニアの世界が救われることだ。エターニアの世界が滅ぶということは、リッドもいなくなってしまうってこと。そんなの、私は嫌だ。
 ……というのはこの時代で言ってもきっと仕方ないよね。この時代のネレイドはまだエターニアを滅ぼそうとしてないんだから。

「あ、いや……叶えて欲しいことなんて特に無いんだけれど。ただ、ネレイドとお友達になりたいなーって思ってさ。うん。」

「私と?」

「そう、ネレイドと!」

 友達ごっこをしつつ、しばらく様子を探ろう。ゼクンドゥスもいないから帰れそうにないし。
 私、どうやって帰ればいいんだろう~とぼんやり考えていると、感無量といったネレイドが嬉しそうに微笑んだ。

「……友達なんて、初めてです」

 その微笑みが、まるで幼い子供のように見えて、私は息を飲んだ。
 ――可愛い。
 どうしてこんな可愛い人があんなことするようになったのかと、すごく疑問に思った。



執筆:04年5月24日
修正:17年6月25日