藍先輩が今日お休みだなんて。

2時限目終了と同時に、藍先輩からメールが届いた。
内容は至ってシンプルで「風邪ひいたから今日は休むよ」とだけ。
風邪って…藍先輩大丈夫なのかな、すごく心配。
そして、今日は藍先輩に会えないんだなって思ったら残りの授業受けずに帰りたくなった。
今日一日、これからの授業に集中できる気がしない。

「藍がいないからって帰るなよ」

ふと、席から立ち上がっただけなのに、翔ちゃんが私を制止する。
そういえば、藍先輩からのメールは合唱部員全員への一斉送信だった。
翔ちゃんもきっと藍先輩からのメールを見たのだろう。
そして、私が帰るのをわざわざ阻止しに来たのだ。
相変わらず翔ちゃんは私が考えている事がすぐにわかるんだなぁと感心してしまう。
だけど、だ。

「私が学校に来る理由は藍先輩に会うためなんだよ?翔ちゃんならわかってくれると思ったのに」

「そんなん、わかりたくねーよ」

およよと泣く真似をすれば、翔ちゃんはお前…と呆れ顔になる。
私たちのやり取りを見ていた隣の席の一ノ瀬くんも、はぁ…と大きなため息をついた。
な、何だよ失礼な!

さん、帰るならば授業を全て受けてからになさい。授業料を払っているのは誰ですか?
あなたのご両親が必死に働いてお金を出しているのではないですか?」

一ノ瀬くんの言葉が、私の良心に突き刺さる。
確かに、授業料を払ってくれている両親に申し訳ない…よなぁ。

「うぐ…一ノ瀬くんの言うとおりだ」

「すげーな、トキヤ。を丸め込みやがった…」

私が大人しく席に座ったのを見て、翔ちゃんが感嘆の声を漏らした。

「翔ちゃん、人を猛獣みたく言わないでくれる?それと、授業終わったら帰るから。部活は行かない」

藍先輩がいないのなら行く意味なんて無い。
寧ろ、今すぐにでも藍先輩のお宅にお見舞いに行きたいくらいだ。
藍先輩のお宅がどこにあるのかなんて知らないから実行は出来ないけれどさぁ…。

「あのなぁ…サボったら明日藍に叱られるんじゃねぇの?」

今度は翔ちゃんの言葉にグサリとやられた。
そうだよなぁ。練習をサボったことなんて、藍先輩ならばすぐに看破してしまうだろう。
藍先輩に嫌われたくない。

「でも指導してくれる先輩いないしー…」

私一人で練習したところで、上達するとは思えない。
他人任せだとは思うけれど…自分じゃわからないことが多すぎるんだ。
一応顧問の龍也先生も歌は上手いらしいけれど、他の部との兼任だからなかなか合唱部に顔を出してはくれないし。
合唱部の先輩は藍先輩しかいないし、なっちゃんも春ちゃんも上手いから教えてもらおうとしたこともあったけれど、
「ここはほわーって歌うんです」とか「ピヨちゃんになったつもりで歌うといいんですよぉ」とか
「わ、わからないですごめんなさい」で終わったし。
なんだこれ、インテリジェンスの違いか?
翔ちゃんは…正直何故お前が合唱部に入りたかったのかわかんねぇよってくらいで上手いとは思わない。
申し訳なく思いながら翔ちゃんを見れば、翔ちゃんも察してくれているのか小さく自嘲していた。
これは翔ちゃんもどうしようもないのか、口を出せないようだ。
ほら、やっぱり今日は早く帰るしかないんだ。
昨日買って手を付けられなかった漫画を読まなければいけないし。

「ならば、私が指導しましょう」

「一ノ瀬くんが?」

意外な人物からの申し出に、私と翔ちゃんは目を丸くした。
一ノ瀬くんが、歌の指導を…?

「ええ。歌に関しては、さんよりは上手いと思いますよ」

そんな失礼な事を言って、一ノ瀬くんは不敵に微笑んだ。









藍先輩のいない、部活。
その代わりに一ノ瀬くんがいて、みんなの前で歌ってくれている。
藍先輩とは質が違うけれど、一ノ瀬くんの歌声もまるでプロのようだ。
聴く人を魅了する力があるっていうか…思わず一緒に口ずさみたくなるような、そんな感じ。
確かにこれは上手い。私なんかとは桁違いだ。
一ノ瀬くんが歌い終えると、私たちはそれぞれの感想を口にしていく。

「トキヤ、うめー…」

「すごいね、吐息で歌ってるよ」

「わぁー、トキヤくん気持ちよさそうですねぇ」

「美風先輩も四ノ宮さんもプロみたいな歌い方ですが、一ノ瀬さんもすごいです」

翔ちゃんが驚いた表情で一ノ瀬くんを見ている隣で私は目を瞬かせる。
その隣ではなっちゃんと春ちゃんが目を輝かせていた。
藍先輩もなっちゃんも…ということは私と翔ちゃんは含まれていない。
ちょっ…春ちゃん…。

「翔ちゃん、春ちゃんが来栖くんは歌が下手って言ってるよ」

「んなこと言ってねぇだろ!?そうだよな、七海!!」

「えっ、あ…その…」

私がニヤニヤしながら翔ちゃんをつつくと、翔ちゃんはムキになって春ちゃんの両肩に掴みかかった。
すると春ちゃんは驚いて涙目になった。
あはは、翔ちゃん必死だ。

「翔ちゃん、春ちゃんをいじめたらダメです!!」

翔ちゃんが春ちゃんをいじめているように見えたらしいなっちゃんが、翔ちゃんを羽交い絞めにする。
息が出来ないらしく、翔ちゃんがものすごい声で「ギブギブギブ」と抵抗を始めた。
その隣を横切り、一ノ瀬くんが私の手を取った。

さん、これで私の実力を理解して頂けましたか?」

「うん、一ノ瀬くんって勉強もスポーツもできて歌も上手いんだね!ムカつく!でも、浮いた話は全然聞かないよね」

理解できないわけがない!
本当に驚いた…一ノ瀬くんはどれだけ万能なのだ。天は彼に二物も三物も与えたんだな。ずるい。
私にもその才能を分けてほしいくらいだチクショー。

「そうだよな。トキヤなら彼女の一人や二人いてもおかしくないんじゃねーの?」

いつの間にかなっちゃんから開放された翔ちゃんが呼吸を整えながら一ノ瀬くんに皮肉を吐き捨てた。
確かに一ノ瀬くんにイラっとしたけど、翔ちゃんどうしたし。

「告白は何度かされましたよ」

不敵スマイルを崩さずに答える一ノ瀬くん。
…やっぱりな!
モテそうなオーラを普段から醸し出している一ノ瀬くんを、女の子達が放置するわけが無かった!
翔ちゃんと顔を見合わせて、すげー!と言うと一ノ瀬くんは苦笑した。

「じゃあ、彼女とかいるの?今ここでこんなことしてて大丈夫なの?」

私が興奮しながら一ノ瀬くんに問いかけた。
一ノ瀬くんに握られた手を握り返せば、一ノ瀬くんは少しだけ頬を赤く染めて照れだす。
うおぉ、普段クールな一ノ瀬くんがこんな顔をするなんて…意外だ。

「残念ながら、私には心に決めた方がいますので…」

「心に決めた方ですか?」

「ええ。しかし、彼女は全く気づいてくれません。だから今、アピールしている最中なのです」

一ノ瀬くんは私を見て、柔らかく微笑んだ。
…そっか、一ノ瀬くんも私と同じで片思い中なんだね!
私も、藍先輩と両思いになれるように頑張らなきゃな。
そのためにはまず、歌が上手くならなきゃ。藍先輩、私頑張ります!

「一ノ瀬くん、お互い頑張ろう!私も、藍先輩に好きになってもらえるようにアピールしてるんだ!えへへ」

「…そ、そうですか」

一ノ瀬くんの手を握りながらブラブラ振り回す。
なぜか翔ちゃんと春ちゃんが何かを哀れむような目で私たちを見ていた。



執筆:13年2月24日